図説ゼロからわかる三大宗教の読み方【仏教編】

前回のイスラム教編からだいぶ時間が空いてしまった。

今回は最後、仏教編で気になったことをまとめてみる。

ブッダは称号

「ブッダ」とは固有名詞ではなく、「めざめた者」「最高の真理を悟った者」という意味のサンスクリット語で、私がブッダという名前の人だと思っていた人の本名はガウタマ・シッダールタさんであった。

ちなみに日本では「成仏する」、「仏になる」=「死ぬこと」、「往生する」と一般的に考えられているけど、インド仏教では「ブッダとなる」=「めざめた者」、「最高の真理を悟った者」となる。

このような考え方は日本仏教独特の解釈だそう。

知らなかった…

共感する中道の教え

古来インドでは、断食し、衣服をまとわず、人との接触を避けて森に住み、呼吸を止めたり、立ち続けたり、座り続けたりして肉体を苦しめることにより、神秘的な力を得ようとする行者たちが数多くいた。今でもヒンドゥー教のヨーガ行者たちが苦行を続けている。ブッダもこのような苦行を試みた。1日1食からはじめて、2日で1食、7日で1食、半月に1食と減らしていき、死人のような姿になった。そのような経験を積んだ上で、苦行には意味がないことを悟り、中道を説くようになったのだ。

(引用 図説・ゼロからわかる 三大宗教の読み方

不謹慎だけど、これを読んで少し笑ってしまった。

いや、だって、凄く苦しい修行をして、

「これって意味ない?」

と気づいたときのブッダ(ガウタマさん)の姿を想像したら、ちょっと面白い。

(私は中道の考え方が好きなので、決してブッダをバカにしているわけではない)

奈良時代の仏教は鎮護国家

この時代の宗教としての仏教は、個人の救済というよりも鎮護国家という国家イデオロギーの性格が強い

(引用 図説・ゼロからわかる 三大宗教の読み方

もういちど読む山川日本史にある「浄土信仰」の項目を読むと、

仏教と在来の神祇信仰との調和をめざす神仏習合の動きは、すでに奈良時代にはじまるが、平安時代には、神々を特定の仏とむすびつけ、神の本来の姿は仏であるとする本地垂迹説がうまれた。(中略)これまでの仏教がこのような動きを示していたとき、あいつぐ戦乱や災害に律令政府が無力であるという現実は、仏法のおとろえを感じさせ、世も末になるという末法思想をうみだした。これは、釈迦がなくなってから2000年たつと末法の時代にはいって仏法がおとろえるという思想で、これにもとづいて1052年が末法の初年にあたるという考え方が流行した。これとあいまって、この世でなく死後の世界(彼岸)に浄土をもとめ、阿弥陀仏にすがって極楽浄土に往生することを理想とする浄土教がひろまった。

 (引用 もういちど読む山川日本史) 

とある。

この記事を書いたときに、「なんで宗教ってできたんだろう?」「なんで世界では宗教にまつわる争いがなくならないんだろう?」と書いたのだけど、キリスト教、イスラム教、仏教編を読んで、「信仰は人間が生きるために必要なもので、地球上に人間という生き物の遺伝子を残していくために必要なものの一つ」と思った。

科学と文明が発達した平和な日本で、私は(ありがたいことに)特に何かの信仰に救いを求めなくても(今のところ)平穏に生きているので、見落としてしまう。

仏教が生まれる以前のインドでは、「人は一度死んでも、生前の行い(カルマ)により、またこの世に生まれ変わり、同じ苦しみを味わわなければならない」という輪廻転生の思想が支配していた。現世における苦しみは、その人の前世の行ないに原因があると考えるから、また生まれ変わるしか解決方法はなかった。ブッダは、この世界を人の心が作り出したものと見抜き、心の有り様が変わることで世界も変わる、と説いたのだ。

(引用 図説・ゼロからわかる 三大宗教の読み方

 

ちなみに現代の日本は政教分離のはずなのに、公明党さんはいいのかしら?

日本国憲法においては,その第 20条1項後段に記述されている。これはかつての国家神道を想定したものであるが,その具体的内容としては,国が特定の宗教団体に政治的または経済的特恵を与えないこと,および国や国の機関が宗教教育その他の宗教活動をしないことなどがあげられる。第2次世界大戦後の日本の政治史においては宗教政党における政教分離が問題となった。 1964年に創立された公明党は,創価学会を母体にしている。しかし,69年から 70年にかけて言論出版妨害問題が起り,学会と党の癒着が世論のきびしい批判を浴びた。この批判にこたえて公明党は政教分離の方針を打出し,所属議員の学会役職兼任を解き,学会は党の支持団体にとどめるなどを明らかにした。学会側も池田会長が 70年5月の本部総会で,学会と党を制度上,機能上完全に分離することを宣言した。しかし,学会と党との緊密な関係は依然として続いている。

(引用 政教分離(せいきょうぶんり)とは - コトバンク