松尾スズキの現代、野蛮人入門 (角川SSC新書)を読んだ。
8年前のちょうど今頃、シアターコクーンで上演されていた「女教師(じょきょうし)は二度抱かれた」を観に行った。
初めての大人計画の舞台観劇だった。
大人計画はとにかく人気が凄いので、チケットを取るのも一苦労。
当時何とかチケット(それも2階席の後ろの方)を手に入れて、ワクワクしながら渋谷に向かった。
ストーリーは忘れてしまったが、大竹しのぶの演技に背筋が凍り、とにかく面白くて、また見たくて、翌日当日券を手に入れるために並び、立ち見で観劇したのを覚えている。
実生活で「背筋が凍る」なんてこと滅多にない(というか記憶にない)が、お芝居を観て背筋が凍る恐怖を感じたのは初めてだった。
大竹しのぶという役者の凄さを思い知ったわけだが、改めてYouTubeでこのお芝居を観直してみると、この恐怖は大竹しのぶの演技だけではなく、松尾スズキが作り出したものだとわかった。
「マンハッタンラブストーリー」などの役者(一見ふざけたオッサン風)の松尾スズキと、演出家・映画監督・脚本家の松尾スズキは違う。
物語を作る松尾スズキはなんかドロドロ(そしてエロエロ)している。
この本を読んで、このドロドロが生まれる意味が少しわかった。
(星野源の本も読んだが、彼らは共通点が多い。)
あなたのためを思って。そう言った時点でアウトなんです。
こういうセリフを言う人に限って、「あなたのため」なんて思っていなくて、「自分のため」に言っている。
自由というものは積極的に持とうとしないと勝ちえません。
その通り。
ネットで、人を言い負かそうと必死になっている人の醜さは、蜘蛛の糸に群がる亡者のようです。みんな、カンダタにしか見えません。糸の先にお釈迦様はいません。不細工な優越感が待っているだけです。
「優越感」が欲しいから、人と比べる。
その「優越感」には限界がないから、人と比べ始めたらキリがない。
人生は、やけに延びてしまった寿命に対する、死に物狂いの暇つぶしだ、とわたしは考えています。
セミリタイアして、私も人生は死ぬまでの暇つぶしだと思うようになった。
人生に生きる意味などないのだ。
そもそも、怠惰が罪なんて誰が決めたんですか?誰が決めたかわからないルールや道徳。それは確実に、偉い人が自分の既得権益を守るために作られたものです。そのルールこそ、野蛮人の敵なのです。
会社や学校といった組織は、訳の分からないローカルルールが多い。
(しかも大抵無駄で非効率なものが多数。)
みんな無駄でバカバカしいとわかっているけど、従わないとその中で生きていけないから我慢して従う。
組織の面倒くさい部分でもある。
私もくだらないルールを一人で作っていた上司のいる会社に勤めたことがある。
ある時上司にこっそり呼ばれ、机の上に飲み物を置くことを良く思わない人間がいるから止めた方がよいと言われたことがある。
(誰が良いと思わない?何がいけないんだ?あんたがいやなだけだろうという意味を込めた)「え?」を笑顔で言ってみた。
すると、「いや、特にダメという規則があるわけではないんですが。」ともごもご訳のわからないことを言い出して消えた上司。
御多分に漏れず、この上司も「〇〇さん(私)のためを思って言うんですが」と言っていた。
どこが私のためなのかさっぱりわからない。
精密機器を扱っている部署ならわかる。
濡れても何ら困らない書類を扱う部署だったんで、「アホかな、この人。」と思って忠告は無視した。
後で周りの人に聞いたら、このような訳の分からない様々な忠告を他の部下にもしており、ほとんどの人間が忠告を無視していた。
その会社は辞めたが(その上司が理由ではない)、結局その上司だった人は数年後会社のお金を社長の承認もなく勝手に新規事業に使って会社を即日クビになっていた。
(この頃は暴走列車のようで誰も止められなかったらしい。)
転職先でもこのおかしさは変わらず、職場の人間を鬱に追い込んで休職に追いやったという噂を聞いた。
会社からもらえる給料は、このような「くだらない人間関係に耐えている報酬」と思いながら当時は働いていた。
個人のよいところは、こういうおバカさんと関わらなくて済む、無駄なストレスを感じなくて済むところだ。
「ああ、もう、あの満員電車に乗らなくていいんだ!しばらく遊んで暮らせるんだ!」それを実感した次の日の朝、遅い時間に起きて、喫茶店で頼んだモーニングセットのうまさ。爽快さ。どんなに嫌な会社でもいい。この気分を手に入れるためだけでも、就職する価値はあります。