1番の願いは「あまり苦しくなくて痛くない死」

小学校低学年の時、家のトイレで用を足していたとき、ふと「死んだら人間はどこに行くんだろう?」と頭によぎった。

考えだしたら止まらなくなり、「そもそも死んだら人間はどうなるの?」と新たな疑問も生まれ、頭がパニックになった。

あまりに長く(たぶん30分くらい)トイレから出てこないので、親が心配して見に来たほどだ。

その時親に「人間は死んだらどうなるの?」と聞いてみたが、親がどう答えたかは記憶にない。

死んだらどうなるかなど、実際に死んでみないとわからないのだが、ライフハッカーに面白い記事があった。

20代の時、急性アルコール中毒で一度死にかけたことがある。

(徹夜で仕事をして寝ない状態でイベントに参加してお酒を飲んでしまった。)

救急車で病院に運ばれ、頭の中で

「あ、私このまま死ぬのか。こんなくだらない理由で死んで親に申し訳ない。」

と思っていたら、突然生まれてから20代半ばまでの自分の人生の場面が、(映写機でスライドが流れるように)凄い早さで頭の中を駆け巡った。

「死ぬ前に人生が走馬灯のように流れるというのは本当だった。」

と誰にも言わずに死んでいくのかと思った時、看護婦さんに「ちゃんと息してください。」と冷静に言われ、なんとかこの世に戻ってきた。

呼吸ができなくてすごく苦しかったが、

「息ができなくて死ぬって、思っていたより苦しくないかも。」

と思う自分もいた。

他者からは非常に苦しそうに聞こえますが、The Atlanticによると医師が判断できる範囲では死前喘鳴に痛みは伴わないようです。 ただ、死ぬときの痛みまでは医師にもわかりません。もちろん、焼死や銃殺は痛いでしょうが、自然死の場合は何ともいえません。通常であれば、死ぬ直前の痛みは医療関係者が管理してくれます。最後の数時間は意識がないことが多いので、おそらく痛みは感じないでしょう。

できることなら、苦しくなく、痛みもわずかでこの世を去りたい。

あと、できれば先にあの世に逝った家族とも再会したい。(欲深いw)

でも1番の願いは「あまり苦しくなくて痛くない死」だ。

心がお別れの儀式を終えると、準備完了です。死後の世界があったとしても、私たちはそこに何があるかを知ることはできません。ただ、少なくとも脳は、できるだけ快適な死を迎えようとするようです。