私はアスリートでも運動部の出身でもないが、趣味で週に5日ほどキックボクササイズをやっている。
最初は家でDVDを見ながらキックボクササイズを20分やっていた。
続けるうちにキックやパンチをするのが楽しくなり、そのうち威力のあるパンチとキックをするには「筋肉しかない!」と思いプロテインを飲んで筋トレも始めた。
そしてあるとき飼っている猫を見ながら思った。
「なんてしなやかで優雅な動きなんだろう」
毛繕いするときに伸びる脚、高い所に飛びあがるときのしなやかなジャンプ、伸びをするときの綺麗なカーブの背骨。
思えばこの子は筋トレなんてしてないのに、俊敏な猫パンチをする。
筋トレを始めて二の腕に力こぶができた頃は、鏡の前でポーズを取ってほくそ笑んでいたが、このままこのトレーニングを続けるのはどうだろう?と思う自分もいた。
大した運動量ではないのでガチガチに筋肉がついているわけではないのだが、自分の動きがどうも不自然に感じ始めた。
そんな時に出会ったのが「筋肉」よりも「骨」を使え! (ディスカヴァー携書)だ。
武術研究者の甲野善紀さんと「骨ストレッチ」というメソッドを開発した松村卓さんの対談本だ。
以前桜井章一さんの本を読んだ際、甲野善紀さんの話が出て興味を持ち、いつかこの方の本を読んでみたいと思っていた。
古武術の世界から日本人の身体性について発言してきた甲野氏と、
元陸上100メートルのスプリンターで「骨ストレッチ」を開発し短距離の
若きホープ桐生選手の指導で知られる松村氏が、
日本人が伝統的な身体の使い方を失っていることに
警告を発するとともに、誰でも実践できる、
心地よく楽な身体の使い方を指南する。
常識を疑う
いい動きというのは、力が抜けるべきところは抜けて、入るべきところは入って、それぞれの動きが微妙な相関関係のなかにあるわけです。それをあちこち強引に鍛えても、いい動きにうまくつながるはずがありません。
私が自分の動きを不自然に感じたのは、うまくつながっていなかったのかもしれない。
科学は例えじゃダメだと言うでしょう。データが必要だと。
医者や科学者が提唱しているから安心ですと謳っている商品やデータを、思考停止で鵜呑みにするのは危険だ。
私は以前ドイツのジャーナリストがその危険性を謳ったドキュメントを見たとき、強くそう思った。
結局自分で試して再考するしかない。
予測を立てない
普通は必ず先を占うんですよ。できるかどうか、予測を立てることが人間の習い性になっているんです。(中略)ギリギリの状況のなかに入っていければ、自然と雑念が消えていきますが、たいていの場合、表面的な焦り、「もしああなったら困る」みたいな低い不安をつねに抱えていますからね。問題は、ここをどう乗り越えるかでしょう。
私はこれを読んで、以前読んだ森下典子さんの「日日是好日」のあるシーンを思い出した。
お茶の指導を受ける森下さんが、武田先生に「考えないで。とにかく体で覚えて。」と言われたシーンだ。
「理屈→実行」ではなく、「実行→理屈」。
頭の中で考える理屈の中だけだと、それだけルールも狭まってしまう。
無意識の体の動き(実行)から入れば、できる範囲や可能性が広がるのかもしれない。
「ここを意識してこういう力が入るとこういう動きができる」って、マニュアルのように考えてばかりいるから、身体で覚えることがますます難しくなってしまうんだと思います。何しろ現代は、感覚を軽視して、科学的であることを優先させていますからね。
生きて歩いているなら最低筋力
筋トレなどで身体の部分ばかり鍛えても、身体全体を連動させることはできません。逆に腕や脚を一生懸命酷使することになり、結局、無駄なエネルギーの消耗につながってしまうわけですよね。
ということで、筋トレとキックボクササイズはいったん止めることにした。
そのかわり普段掃除機やクイックルワイパーで簡単に済ませていた掃除を丁寧にやり、身体全身を動かすことにした。
家具や床、ドアや畳をしっかり水を絞った雑巾で丁寧に拭く。
高い所や低い所に手を伸ばして拭くと、身体のいろんな部分を使っているのがわかる。
普段の掃除を丁寧にやるだけでも、十分な全身運動だ。
心だけを切り取って、それを鍛えたり、コントロールしようとしたり、それで何かをやったつもりにはなれても、地に足のついた成果は得にくいでしょう。