コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記さんの記事を読んで、南方熊楠(みなかたくまぐす)という人を初めて知った。
(上野の国立科学博物館では、現在南方熊楠生誕150周年記念企画展が開催中。こちらの企画展についてコロコロさんが書かれたレポート(国立科学博物館「南方熊楠 -100年早かった智の人-」 | インターネットミュージアム)は大変興味深く読ませて頂いた。)
コロコロさんのレポートを読んで、南方熊楠という人についてもっと知りたくなった。
南方熊楠ってどんな人?
南方熊楠(みなかた・くまぐす)……1867~1941。和歌山県出身。粘菌の研究で知られる菌類学者だが、博物学や民俗学など多方面にわたって業績を残す。記憶力に優れ、18の言語を操り、柳田國男をして「日本人の可能性の極限だ」と言わせた万能型の天才。
私は粘菌というと、風の谷のナウシカの世界を思い出す。
ナウシカもたしか粘菌について調べていたはず。
ネットで少し調べただけでも様々なエピソードが出てきて、「パワフルで面白いおじさん」という印象を受けた。
そして南方熊楠についてもっと知りたいと思った。
今回は水木しげるさんが書いた猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)を読んだのだけど、これがとても良かった。
この本(漫画)を読んでいろいろな思いが頭の中を駆け巡ったが、今は全部をうまくまとめる自信がない。
(他にも南方熊楠について書かれた本は読んでみたいので、その都度感想はブログに書いていこう。)
死生観
今回一番印象に残ったのが、南方熊楠の死生観。
粘菌ばかりを見る生活の中で見た「生死の現象」。
粘菌に例をとると
こいつは生と死を一つにもっているようなものだ
生命がもっとも活動してるときは見た目にはたんみたいなもので死物にみえる
後日繁殖の胞子を守るだけの粘菌は実は死物だが
人は死物をみて粘菌が生えたという活物をみて死物同然とみる
それと同じで死んだらなんにもないと考えるのはおかしい
粘菌の世界をみても死んだとみえる状態に似ているときに粘菌は最も活躍してるんだ
すると人間は死んだと思われ無だと思われている時の方が本当に生きているのかもしれないナ
人間は死後なにもないと思うのは間違いだな
案外死んで無くなってしまったというときに
意想外の誕生があって
我々が無上の価値だと思った「生」は実は「地獄」だったということもあるわけじゃョ
これを読んで、「うわぁ、うわぁ、うわぁ~~~~」が頭の中をこだました。
そして目から鱗がぼろぼろごそごそどさっと落ちた。
今生きている人間には、人間が死んだ後の世界のことはわからない。
だから「生」に重きを置いてしまいがちだけど、これを読んで「生」も「死」も同じで、必要以上に「死」を恐れることも、「生」を崇める必要もないと思った。
そう言いながら、自分が死ぬ時は「死にたくない」と思うだろうし、大事な人や猫が死んだ時は心の底から悲しんで「ずっと生きていて欲しい」と思うだろう。
しかし私は、南方熊楠の死生観にとても感銘を受けた。
YouTubeで粘菌の動きを初めて見てみたのだけど、まるでナウシカの世界!
南方熊楠は何百、何千もの粘菌を研究しながら、「生死」について自由に考えたんだろうな。
ルールとか、世間体とか、美しいとか、汚いとか、生きているからとか、死んでいるからとか、そういったいろんな枠組みを取っ払って研究した偉大な人。
南方熊楠を知らないまま死ななくて良かった。
他の方の考察
■南方熊楠:「南方熊楠」関連情報のかけらを整理(自分用覚書) - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
http://www.tulip.sannet.ne.jp/jyugem/minakata.htm
今回ネットで南方熊楠を調べて見つけた記事。
(おもしろかったので、また読みたい時のためにリンクを貼っておこう。)
他にも研究会の方の資料や顕彰会の方のブログもあったけど、量が多いので少しずつ読ませてもらおう。
南方熊楠記念館
南方熊楠記念館 – Minakata Kumagusu Museum
機会があればぜひ訪れてみたい。
このサイトの中身はとても充実している。
南方熊楠の偉業を後世に顕彰したい気持ちが伝わるサイトだ。
「読むというのは写すこと、単に読んだだけでは忘れるが、写したら忘れない」を信条とし、人にすすめ、自分も実行したのである。
(引用http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/kumagusu/life/tanabe)
私も偉大な南方熊楠にあやかって、何か1冊丸ごとノートに写してみようかな。
ちょっとワクワク。