前回は「語彙量を増やす」を勉強したが、今回は「語彙の質を高める」についてお勉強。
語彙の質を高めるには
- 言語を正確に使う
- 語が使われている環境とニュアンスのミスマッチを調整する
- 語の意味の幅と揺れを計算できるようになる
- 語の感覚的側面を考える
言語を正確に使う
書き手と読み手の言葉の使い方が一致して初めて、言葉は伝わります。
語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)
言語を正確に使うには、
- 誤用を回避する
- 重複と不足を解消する
- 連語の相性に注意する
以上のことに気をつけるとよいそうだ。
連語の相性に注意する
語彙の精度を高めるには、連語、すなわち「お金を出す」「お金を払う」「お金を使う」のような語の組み合わせのうち、文脈に合わせてどの組み合わせを使うのが適切か、センスをみがく必要があります。
この本に、「食べる」に関連する動詞を例文の空欄に埋めるという問題があるのだけど、私は6問中2問しか答えることができなかった。
「食べる」という行為を表すだけでも、「食う」「食らう」「いただく」「食む(はむ)」「摂る」「かきこむ」「口にする」と、たくさんの動詞がある。
文章のセンスは、たくさんある言葉の中からどれを選んで当てはめるにかにかかっている。
言葉のセンスがある人
話は逸れるが、私は椎名林檎さんの音楽が好き。
このコマーシャルで流れた『茜さす 帰路照らされど・・・』を聴いて一目惚れ(一聞惚れ?)したのは20年も前のことなのに、未だに彼女の書く詞を聴くと、「うわっ」と思うことがある。
<生命(いのち)をほんの少しだけ前借りしたんだ>(青春の瞬き)
<ほんのつい先考えて居たことがもう古くて>(NIPPON)
<不幸だった訳がわかっている今は損しただなんてまるでおもわない あの世でもらう批評が本当なのさ>(目抜き通り)
<きっと違いの分かる人は居ます そう信じて丁寧に拵えて(こさえて)居ましょう>(人生は夢だらけ)
挙げだしたらキリがないのだけど、目で見た時の漢字や耳で聴いたときの言葉の響き、全てにセンスを感じる。
この曲なんて全てがカッコいい。
大人の組み合わせ
単純な動詞を使うと、それだけでは力が弱く感じられることがあります。そうしたときは、その動詞の意味に含まれる名詞、とくに身体名詞を使った組み合わせにすると、読み手にたいする印象が強まります。
「見る」を「目にする」にするだけで洗練された印象になると書いてあるのだけど、たしかにそう感じる。
私は「見る」や「聞く」などの単純な表現を多用するけど、これからは「目に触れる」とか「耳にする」などの大人の表現も使うよう心掛けよう。
身体名詞と単純な動詞の組み合わせは、大人の表現にしたいときに便利ですので、発想として頭に入れておいて損はないと思います。
語が使われている環境とニュアンスのミスマッチを調整する
どんなニュアンスの語を選ぶかで、読んだときの印象がかなり違ってきます。
ミスマッチを調整するには、
- 語感のズレを調整する(語が使われている環境と語のニュアンスのミスマッチを調整する方法を考える)
- 語を適切に置き換える(ある語を別の語に置き換えることで意味をぼかしたり、反対に明確にしたりする方法を考える)
- 語の社会性を考慮する(語がその背後に持っている文化的背景について考える)
を意識するとのこと。
語の意味の幅と揺れを計算できるようになる
- 多義語のあいまいさを管理する
- 異なる立場を想定する
多義語のあいまいさを管理する
日本語はあいまいな言語だとよく言われます。どの言語にもあいまいな部分はありますが、日本語は島国で育まれた言語であるため、あうんの呼吸で聞き手に伝わることが期待され、文脈依存性の高い、あいまいさが大きい言語の一つだと考えられます。語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)
以前日本からアメリカに引っ越した友人(日本人)を訪ねた際、久しぶりに日本人(私)と話した友人に、
「こっちの人(アメリカ人)は会話に必ずオチを求めるから、話す時毎回オチを考えて話さないといけないから疲れるけど、日本人はオチのないあいまいな会話でも許されるから楽。」
と言われたことがある。
例えば、「この前スタバでラテ飲んだんだよね。」と話すと、日本人なら「あ、そうなんだ。」で済むところが、アメリカ人は「で?美味しかったの?どうなの?感想もないのになんで話したの?」となるらしい。
全ての日本人、アメリカ人に当てはまることではないかもしれないけど、日本はあいまいが許される文化なのはわかる。
しかし、書き言葉は、こうしたあいまいさをできるだけ排除するように働きます。書き言葉は、情報をできるだけ正確に、不特定多数に伝えることを目的に発達してきた言語なので、文脈に依存しない、一義的に決まる表現が好まれるからです。
話し言葉はあいまいな表現が多い私だが、ブログ(書き言葉)では気をつけよう。
異なる立場を想定する
会話であれば、目のまえに相手がいますので、相手の反応を予想して、ある程度抑制が利きます。しかし、文章の場合は目のまえに相手がいないので、書く内容がエスカレートしてしまいがちです。文章を書くときは、読む可能性のある相手を思い浮かべ、それぞれの立場の人が読んだらどう思うだろうとその表情を想像し、引っかかる表現があれば避けるのが賢明です。
私がブログを書く上で気をつけているのが、
- 自分の考えを自由に表現すること
- 人が不愉快になることを書かないこと
この2つはときに相反することもあり、線引きが難しい。
1を優先すれば2の事態が起こることもあり得るし、実に難しいのだけど、これからも気をつけようと思う。
語の感覚的側面を考える
- 語の感性を研ぎ澄ませる(比喩とオノマトペに代表される感覚表現について考え、言葉の感度を高める)
- 相手の気持ちに配慮する(敬語の選択について考える)
- 心に届く言葉を選択する
この本のおかげでこれから書くブログの言葉選びに幅ができたようでなんだか嬉しい。