Chapter2 The School of Tea ~第二章 茶の諸流~
Chapter2 The School of Tea ~第二章 茶の諸流~の筆写が終わった。
英語版
英語版はThe Book of Tea 茶の本 ラダーシリーズ。
全文載っている完全版ではないが(おそらく複雑な表記や古い表現の箇所はあえて削っていると思われる)、読みやすいように構成されている。
日本語版
日本語版は青空文庫から出版されている茶の本。
AmazonKindleでは無料でダウンロードできる。
(岡倉覚三 村岡博訳 茶の本 茶の本→こちらのサイトにも全文掲載されている。)
英語→日本語→わからない語彙を調べる
前回同様まずは英語版を1ページ分、ルーズリーフに書き写すことから始める。
次に日本語訳を英文の下に書き写し、英語版では削除されていた部分の日本語訳は別途書き写し、英語・日本語共に、わからない言葉や単語、曖昧に覚えているものは全て調べて余白に書き込んだ。
第二章は主に中国と日本の茶の歴史について書かれているが、英語版は中国の歴史についてかなり省略されていた為、日本語訳が役に立った。
中国の茶の歴史の説明があるのとないのとではかなり違う。
しかし90年前の翻訳なので、わからない単語が多く、英語と同じくらい日本語もたくさん調べた。
茶の進化
Its development falls roughly into three stages:boiled tea,whipped tea,and steeped tea.
茶の進化は概略、煎茶、抹茶、出し茶の三大時期に分けられる。
煎茶(出典煎茶・深蒸し煎茶|お茶の種類|お茶百科)
抹茶(出典抹茶・てん茶|お茶の種類|お茶百科)
出し茶(出典https://chakouso.com/2017/02/13/%E3%81%A0%E3%81%97%E8%8C%B6/)
私が日頃飲むお茶は抹茶が多いが、天心は茶の味わい方は流行した当時の精神を表していると書いている。
The tea is,after all,an expression of life,an indication of the nature of our innermost being.
と言うのは、人生は内心の表現であり、知らず知らずの行動はわれわれの内心の絶えざる発露*1であるから。
薬として重宝される
古代中国では、茶は疲労を癒し、精神をさわやかにし、意志を強くし、視力をととのえる効能がある内服薬として服用された。
また、リューマチの痛みを軽減するねり薬としても用いられた。
仏教徒は長時間の黙想中の眠気予防として服用した。
飲み方
南北朝時代の茶の飲み方は原始的なもので、茶の葉を蒸して臼に入れてついて団子にし、米や塩、香料、牛乳など、時にはネギと一緒に煮て飲んだ。
茶道の元祖陸羽
8世紀の中頃(唐の時代)、中国に茶道の元祖として知られる陸羽が登場する。
陸羽は仏教、道教、儒教が入り混じった時代に生まれた。
その時代の汎神論的*2象徴主義に促されて、茶の湯の世界に万有を支配しているものと同一の調和と秩序を見るようになった。
茶経
陸羽が茶道を組織立てた著書『茶経』。
三巻十章で構成され、一章では茶の源、二章では製茶の器具、三章では製茶法を論じている。
四章では茶器について論じており、茶碗の色は青色が理想とした。
(青色だと茶の緑色が増して見えるため。)
五章では茶のたて方について述べており、残りの章は普通の喫茶法の俗悪なこと、有名な茶人の簡単な実録、有名な茶園、変わった茶器、茶道具の挿絵が書かれている。
最後の章は残念ながら欠けていると天心は記している。
宋の時代
宋の時代には抹茶が流行し、第二の流派が生まれた。
この頃には茶のたて方に多少の変化もあり、塩を入れる飲み方は捨てられた。
宋人は茶に熱狂し、優劣を競うために定時の競技も行われた。
宋人の茶の理想
茶の意味は、次第に生の世界に入り、風流な遊びから自分を理解する一つの方法へ変化した。
興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。
この頃の禅の儀式が発達したものが、15世紀に日本の茶の湯になった。
モンゴルの侵略と内乱
13世紀に入ると、中国はモンゴルの侵略に遭い、宋の文化はことごく破壊された。
(日本は1281年にモンゴルの襲来に遭うが撃退している。)
17世紀の中頃の明朝は内紛が起こり、18世紀には満州人に支配され、古人が親しんだ茶の崇高な信念は失われた。
そして茶の理想は日本で生き残ることとなる。
(陸続きの中国と島国の日本、地政学的なことが後世に渡って文化にも影響を及ぼす。)
日本の茶の世界
遣唐使によって輸入
729年聖武天皇の御殿に100人の僧に茶を振る舞うという記録が残っている。
茶の葉はおそらく遣唐使によって輸入され、当時流行したたて方でたてられたであろうと天心は書き残している。
801年に最澄によって茶の種が持ち帰られ、比叡山に植えられた。
そして貴族、僧侶の間で飲まれるようになり、たくさん茶園ができた。
宋の茶
宋の茶は栄西禅師により日本に伝えられ、栄西禅師が持ち帰った新種は3か所に植えられた。
(そのうちの1か所が茶の名産地として有名な京都の宇治。)
宋の茶は、種のみならず茶の儀式や理想までも日本に広がった。
15世紀には将軍足利義政が茶を奨励し、茶の湯は確立、そして独立した世俗となった。
It is in the Japanese tea ceremony that this tradition reaches the height of perfection.
茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった。
茶の湯の目的
No color should be out of place in the overall tone of the room.
茶室の調子を破る一点の色もなく
No sound should strike unpleasantly on the ear.
物のリズムをそこなうそよとの音もなく
No gesture should stand out as being different.
調和を乱す一指の動きもなく
Not a word should be spoken that would damage the unity of the surroundings.
周囲の統一を破る一言も発せず
All movements should be performed simply and naturally.
すべての行動を単純に自然に行なう
These were the aims of the tea ceremony.
こういうのがすなわち茶の湯の目的であった
読むだけだとあいまいに理解していたところも、筆写をすると理解しやすい。
特に歴史が苦手な私にはこの章は書いてこそ理解が深まる。
次は「3章 道教と茶道」。
こちらも楽しみ。