エホバの証人の友人と縁を切った話

エホバの証人について知りたくて、カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)を読んだ。

内容紹介:九歳の時に母親の入信をきっかけに家族全員がエホバの証人となり、25年間の教団生活の後に親族一同が教団を抜けるまでのドキュメンタリー手記。著者は子供の頃からロンドン、ロスアンジェルス、ニューヨーク、ハワイ、日本での生活経験を持つ。エリート銀行員の妻であった母親が「家族のために」と良かれと思い聖書の勉強をエホバの証人たちと始める。しかしやがて教団の厳しい規則が家族一同の生活を支配するようになる。元信者ならではの目線で書かれており、教団の実態、教団信者の内情がリアルに克明に描かれている。

(引用JW解約『ドアの向こうのカルト』

この本は『ドアの向こうのカルト』というオリジナルを文庫化した本だが、エホバの証人の教義の矛盾について論理的に説明されており、カルトの実態、洗脳やカルトにハマる人、作者がエホバの証人から脱却する際の話や家族や友人を解約するときの話が克明に記されていて、とても勉強になった。

まずはこの本を読むキッカケとなったSちゃんについて書くことにする。

Sちゃん

優等生時代

Sちゃんとは小学校、中学校、高校が同じで、クラスも一緒になることが多くて、ずっと仲が良かった。

学校の勉強はよくできて運動も得意。

優しくて穏やかで、大人からも子どもからも好かれていた。

素直で礼儀正しい子だったので、私の父はSちゃんが大のお気に入りだった。

そんなSちゃんとは正反対に、私は我が強く、学校の勉強も部活動もほとんどやらない子であった。

なんにもやりたくない。

毎日つまらない。

大人(教師や親や親戚)の言うことは聞きたくない、けどヤンキーになるような根性もない。

今思うと、無味乾燥な学生時代で、現実の世界がつまらなくて、小説や映画など空想の世界に浸ることが多かった。

「子どもの頃は楽しかった、昔に戻りたい」という人の話を聞くと、「嘘でしょ?二度と戻りたくないよ、今が一番楽しいよ」といつも思う。

10代の頃は常にモヤモヤ・イライラしていたし、Sちゃんのように誰からも好かれるような子ではなかった。

同じ年だけど優しくて頼りがいのあるSちゃんはまるで姉のような存在で、私はよく甘えた。

そんなSちゃんだが、1つだけ問題があった。

Sちゃんのお母さんはエホバの証人の信者だった。

小学生の頃、母はママ友からその話を聞いた。

田舎なので情報はすぐ回る。

両親は私に、「友達の子どもを勧誘することはないと思うけど、一応注意するように」みたいなことを言っていた。

母はSちゃんのお母さんとは少し距離を置いているように感じたが、最近その話をしたら、Sちゃんのことは何となく名前は覚えているけどそれ以外は何も覚えていなかった。

中学生になってSちゃんは「母はエホバだけど、私はエホバじゃない。母は強要してないし、入りたかったら入ればいいというスタンス」のようなことを言っていて、「ふ~ん」と思った。

中学生の私は、正直宗教もエホバのこともわからないし、Sちゃんと私の間には関係のない話だと思っていた。

Sちゃんにはお父さんと弟2人、そして信者のお母さんがいた。

(お父さんはおそらく「協力的な未信者さん」だったと思う。)

大きな家に住んでいて、お父さんはドラえもんに出てくるしずかちゃんのお父さんのような佇まいで、弟さんはやんちゃで元気、お母さんは痩せていてしっかり者といった印象だった。

お互いの家もよく遊びに行ったけど、お母さんから勧誘されることはなかった。

そして遊びに行ってもお母さんがいることはあまりなかったように記憶している。

おそらく「会衆」と呼ばれるものに参加していたか、「伝道」と言われる布教活動をしていたのだと思う。

エホバの証人は、各地域に分かれて集会を開いている。地元の集会は、「会衆」と呼ばれていて、それぞれの地元の名前にちなんで名前が付けられる。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

エホバの「伝道」

ちなみにうちの近所でも「伝道」しているおばあさんとおばさんのペアの女性をよく見かける。

なんだか浮いていてよく見かけるので母に聞いたら、「エホバよ」と言っていた。

(うちは家のチャイムが鳴ったら居留守を使うけど、ハッキリ言って迷惑です!

もし道をゆっくりと歩く年配の女性が二人いたら、それは間違いなくエホバの証人である。通常は伝道スタイルと言われる日よけの帽子をかぶっている。80年当時は、創価学会も同じように熱心に布教活動をしていたので、創価学会と証人たちが道でいがみあったというエピソードが残っている。もっとも証人たちからすれば、「そうかがっかり会」はサタンに惑わされている新興宗教だという見方になる。

 カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

母は関わらなければ特に害はないから無視しておけばよいと言っていたが、そのことはこの本にも書いてあった。

元信者の立場として言えば、証人たちが家に来ることや記録をつけること自体に害はない。別に高いツボを売りつけにくるわけでもないし、強引に勧誘してくることもない。また、個人情報がよその業者に売り渡されることもない。だから彼らの伝道活動を恐れる必要はない。ただし、自分の身内が聖書研究を始めてしまったらそれは問題になる。外にいれば害のない人たちが、自分の家庭に入り込まれると様々な問題が起きる。

 カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

様子がおかしい大学時代

Sちゃんは学校の勉強がよくできたので、偏差値の高い東京の大学に受かり、1人東京に引っ越した。

私は広島の大学に進学し、距離も離れていつしか連絡をとることもなくなっていった。

それから2年経ち、夏休みに帰省したSちゃんと会うことになった。

見た目もあまり変わることなく、質素で優しい彼女だとその時は思った。

食事をして、ドライブしながらお互いの近況を話した。

当時の私は父が亡くなったばかりでとても疲れていたけど、なぜかテンションは高くて不安定だった。

Sちゃんはそんな私の話をよく聞いてくれた。

そしてSちゃんの近況を聞いたら、自分の大学の友達を

「あいつらバカなんだよ、あいつらと一緒にいたくない、あいつらと同じ空気も吸いたくない」

と何度も言っていた。

口の悪い私が言うならまだしも、Sちゃんがそんな口調で言うのはおかしいと思ったけど、その時は聞き流した。

しかし今思うと、この頃からSちゃんはエホバの証人の信者になったのではないかと思う。

この頃から、母親は世の友達(証人以外の友達)とあまり遊ぶなと言い出した。協会は、同じ信者の子供同士で遊ばないとサタンの誘惑にひっかかると教えていた。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

そしてもう1つ不思議だったのが、家族全員東京に引っ越して一緒に暮らしていたことだった。

お父さんは転勤のある会社ではなかったはずだし、弟たちはまだ高校生だ。

「お父さんの仕事の都合?」と聞いたら、曖昧な感じで流されてしまった。

それ以上聞くのは失礼と思い、聞くのは止めた。

(もしかしたらこの頃、家族全員エホバの証人の信者になっていたのかもしれない。)

マルチ商法とエホバ

夏休みに会って以降、またお互い離れてしまい、連絡を取ることもなくなった。

私は大学を卒業し、東京にある会社に就職した。

Yちゃん(高校の頃の友人。Sちゃんと3人でよく遊んでいた)は東京の大学に進学し、そのまま東京で就職した。

私が上京したので、久しぶりに3人でご飯を食べることになった。

場所はJR原宿駅近くのカフェ。

Yちゃんは仕事で少し遅れるとのことだったので、1人でお店に行くと、Sちゃんは別の女性を連れて先に座って待っていた。

「ん?誰だ、あの人?」

ショートカットにオシャレな服装、赤い縁の眼鏡にハッキリした可愛い顔立ち。

細くて小柄で、私は最初に見た時美容師さんだと思った。

「あ、Sちゃんはこの近くの美容院で髪を切ってきて、美容師さんの仕事が終わったのでたまたま誘ったのかな?」と思った。

「はじめまして」と挨拶して、席に座った。

赤い縁の眼鏡(以下、赤眼鏡さんと呼ぶ)の女性は、とても人馴れした感じの挨拶をてきぱきとして、馴れ馴れしい感じでこのカフェのおススメのメニューを注文してくれた。

この時点で「なにかおかしい」と思った。

赤眼鏡さんの馴れ馴れしさがどうも心地悪くてSちゃんを見ると、目つきが変わっている。

尊敬と陶酔の眼になっていて、赤眼鏡さんが口を開くたびにキャッキャッと返している。

「Sちゃん、どうした?」

(心の中で思った。)

早くYちゃん来ないかな~と思っていたら、赤眼鏡さんが何やら鞄からアクセサリーを出してつけてみてと言った。

「出たよ~、これマルチ商法じゃん」

頭では「マルチ商法」と思う自分もいるのだけど、Sちゃんがこんなことするわけないと思う自分もいて、赤眼鏡さんとSちゃんの口から出る言葉を理解するのに少し時間がかかった。

そして段々ソワソワして、ここから一刻も早く出たいと思った。

笑って(たぶんひきつった顔だったと思うけど)そのアクセサリーをつけたけど、すぐ外して返した。

「似合うよ」

「これつけると、運気が上がってこれからたくさんお金を稼げるよ」

などなど、もうありとあらゆる口撃を仕掛けてきた。

どう見ても、10万円以上もするアクセサリーには見えない。

Sちゃんも一緒になってすすめてきたのだけど、そこには学生時代の頃の彼女はいなかった。

「会社勤めたばかりでお金ないんで~」というありきたりな断りを言うと、向こうも待ってましたとばかりにローンの説明を始めた。

「だめだこりゃ。言葉が通じない。というか、Sちゃんに何があったんだろう?」

と心の中で思った。

マルチ商法に遭ったショックより、あの優等生だったSちゃんがマルチ商法をやっている事実の方がショックだった。

まもなくして、Yちゃんが来た。

赤眼鏡さんはYちゃんにもあれやこれやとすすめていたが、とりあえず「少し考えさせてください」と言ってその日はお開きとなった。

Sちゃんと赤眼鏡さんは同じ方向だったので、JRで帰ると言った。

私とYちゃんは地下鉄だったので、2人とは原宿駅の前で別れた。

改札に入っていく2人を見送ったところでYちゃんが、「よし、話をしよう」と言った。

それから別のカフェに入って怒涛のマシンガントークが始まった。

もうお互い「おかしい、あれはおかしい、どうしたのよSちゃんは」と話しまくった。

しかしYちゃんは私より少し冷静だった。

そして「Sちゃんのお母さんの宗教が関係あるかも」と言った。

そこでSちゃんのお母さんがエホバの証人の信者だったことを思い出した。

Yちゃんのお母さんは地元では顔が広く、いろいろ情報が入ってくる。

Yちゃんはこの時明言しなかったが、Sちゃん一家が東京に越してきたのはエホバが関係していると匂わせた。

しかしYちゃんもお母さんから聞いた話で、どこまで本当かわからないし、そんなに興味がなかったから真剣に聞いていなくてハッキリしたことは言えないとした。

で、ここからは私の憶測だが、

  • Sちゃんのお母さんが地元の会衆で何か問題を起こして居れなくなり(もしくは居たくなくなった)、家族揃って東京に来た
  • Sちゃんが信者になる、もしくはお父さんや弟たちも信者になるので一緒に暮らそうとなった

のどちらかではないかとこの本を読んで思った。

エホバの証人の信者は、「通常ありえないような強烈な癖を持った人もいた」と作者は語っている。

また、会衆内では常に内輪での小さなイザコザがある。原因は大したことではないのだが、いつも同じ信者仲間が狭い日常の中で毎日同じ行動を繰り返していると、些細なイザコザが起きる。(中略)さらに姉妹(※エホバの証人の人たちは、信者のことを「兄弟」「姉妹」と呼ぶ)たちの中には、病的に神経質な人やうつの人が多かった。常に長老たちに相談してまわる、依存心の異様に強い人も多かった。通常ありえないような強烈な癖を持った人もいた。(中略)あまりの非常識さに、呆れることもたびたびあった。今となっては、カルト教団だからこそ、異常な人が多くて当たり前の話だ。(中略)仲間外れがよく起きて、しばしばハジかれた姉妹が、伝道中に泣いたりしていた。これがクリスチャンの愛の態度か?と内心思っていた。(中略)みんな、病人だったから弱くて信者になったのではなく、信者になってから発病している人たちであった。(中略)なぜ幸せになるはずの組織にいて、うつ病になるのかが理解不能だった。日本の会衆で、なぜそんなに精神病患者を大量生産しているのか理解できない。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

Yちゃんとは「まあ確証もないし、これだけでSちゃんがエホバと決めつけるのはよくない」と話したところで、Sちゃんから「また遊ぼう。次はいつ会える?」と2人にメールが来た。

Yちゃんと話をして、

  • まず会うのは3人だけ
  • 何か商品を売りつけるのはやめること
  • それをしたらもう会わない 

この内容を入れてそれぞれメールを返信する。

それに約束してくれたら会うことにしようと言って、その日は別れた。

縁を切る

1か月後の日曜日、3人は横浜で遊ぶことになった。

最初は赤レンガ倉庫に行こうと電車に乗ったが、Sちゃんは突然「寄りたい所がある」と言い出した。

そして無理矢理別の駅で私たちを連れて降りた。

もうこの時点でYちゃんと私のSちゃんに対する疑惑は、グレーから黒に変わりかけていた。

大きなホールみたいな所に連れて行かれた。

その会場にはいろんな高額商品が展示されていて、そこには例の赤眼鏡さんもいた。

ペラペラのレザージャケットが30万円…

Sちゃんはそれが欲しいと言いながらなぜか私たちに試着をすすめた。

私はYちゃんに目配せをしたが、Yちゃんは商品を見て回っていたので、心の中で「オイオイ」と思った。

赤眼鏡さんはずっとついてきたけど、私は無視した。

私の態度があからさまに悪くなっていくので、Yちゃんは気を遣っていた。

そしてある程度時間が経ったところで、Sちゃんに

「私たちこれから別の用があるからもう帰るね」と言って別れた。

Sちゃんと話をしたのはそれが最後だ。

その時のSちゃんは完全に別人の顔で、今まで見たことのない目つきだった。

今でもその時の表情は忘れないのだけど、それが洗脳されている人の目だと思った。

私は寂しい気持ちと怒りの感情が入り混じって、なんだか訳の分からない気持ちになった。

私とYちゃんは、Sちゃんの文句を言いながら帰った。

そしてSちゃんの変貌ぶりに、やっぱり「エホバの証人」が関係していると疑惑が大きくなったが、その時はもうどうでもよかった。

家に着いてSちゃんからの電話とメールの着信・受信拒否の設定をして、番号もアドレスも消去した。

とても寂しかった。

東京に出てきたばかりで知っている人が少ないのに、その中の1人が消えた。

(ちなみにその1年後くらいにYちゃんは事情があって東京を離れることになった。)

私はそれから東京でたくさんの人に会った。

すごくいい人もいたし、すごくイヤな人、虚勢を張る人、優しい人、もう二度と関わりたくない人、個性のある人、面白い人、いろんな人に出会った。

東京に住んでいなければ仲良くなっていなかっただろうし、出会うこともなかっただろうと思うと、辛いことや苦しいこともたくさんあったけど、東京に住んでよかったと思う。

若いときはたくさん人に会って、人を見る目を養うのも必要だ。

(そして今の私は好き嫌いしないでたくさん本を読んでいるところ。)

その後もマルチ商法をしている人には1人会った。(わかった瞬間縁を切った)

反対にマルチ商法に引っかかった人もいた。

世の中いろんな人がいると学んだ20・30代だった。

確証

エホバの証人とマルチ商法に関係があるのか当時はイマイチ確証はなかったけど、この本を読んで両者は大きく関係していることがわかった。

証人をしていると、必ず誰しも一度は、マルチ・ネットワーク・ビジネスの勧誘を受ける。マルチに関しては、ネズミ講だとかそうでないという議論があるが、私はどっちでもいいと思っている。ただし、マルチ形式のフォーマットが宗教に近いことは否めない。そしてこれは私にとって、自分が属している組織に対して抱いた初期の疑念のきっかけとなった。証人の多くは週三回の集会と伝道時間をこなすためにパートの仕事に就いている。時間を調整できていい収入になる仕事はそうそうない。それで数多くの証人たちがマルチ販売に走る。最初は会衆の姉妹たちが同情を示して商品を買ってくれるので、商売を始めやすい。私も多数のマルチ販売をやらないかと勧められた。(中略)両者には共通した宗教特有の三つの要素が含まれている。

  1. 絶対性(これが絶対の宗教・商品よ!)
  2. 純粋性(私たちの教養・商品以外は信用できない!)
  3. 選民生(私たちの教団・商品は選ばれている!)
(中略)程度を軽くすればマーケティングにおけるブランディング方法もこの法則にのっとっている。この商品は絶対に必要で、ブランドには歴史があり、これを持っている人は選ばれた人たちとなる。そしてこの三つの法則に加えて、宗教とマルチには四つ目の条件が備わる。布教性(弟子をつくろう!)(中略)証人たちはもともと、根が真面目に「絶対性」と「純粋性」を信じやすい素質を持っている。だからマルチは彼らにとって、肌に合う商売であることには間違いない。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

(Sちゃん、昔から純粋だったもんな。)

宗教やマルチでなくても、普段私たちが見かける広告、テレビ、ネット、本の情報にも思想や価値観を押し付けるものはたくさんある。

商品そのものの原価と売値を考えると、絶対そんな高額にならないよねってモノはいくらでもある。

化粧品やブランド物なんて、そこに高額なモデル料やパッケージ代、人件費がのっかっている。

大量消費社会では見栄とか世間体とかに付け込んで購買意欲をくすぐるので、本当に必要かどうかはよく考えた方がいい。

好きなモノやどうしても欲しいモノはいいけど、何でもかんでも考えずに買うのは危険。

(反対に安すぎるモノは生産者が苦しんでいることもあるので要注意だけど。)

特に人の不安やコンプレックスを煽るモノ、抽象的なモノ(「成功」や「お金持ち」「幸せ」などを謳う自己啓発本やセミナー)は注意した方がいい。

「真理、真実、本当の答え」といった言葉を使う団体は、宗教にかかわらず、ビジネス・セミナーでも、自己啓発本でも、臭いと思った方がいい。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

 

多くの人が持っている抽象的な不安を解消できる方法は一つだけしかない。それは自分自身の具体的な行動によって、現実に変化を与える行為だけである。念じているだけで貧困や戦争がなくなるなんて思ってはいけない。同じく念じるだけでビジネスが成功することも幸せになることもない。行動のみだ。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

一世と二世

一世は主婦が多い

ここで一世の兄弟に関して説明する。一般的には最初に主婦である妻が教団に入信することが多い。そして私の母親がしたように、自分の夫にも聖書研究をしつこく勧めることになる。人によってアプローチ方法は違うのだが、勧誘のノウハウが信者同士で共有される。(中略)通常、これを五年間やられると、大抵の旦那は態度が軟化して、聖書を勉強してもいいかと思うようになる。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

作者の佐藤さんは洗脳を解くための資料をネット上に公開している。

https://jw-qa.com/kaiyaku/wp-content/uploads/2017/08/JW_case_of_wife.pdf

→上記のアドレスに、「自分の妻が研究を始めた時の対策」の資料が保存されている。

二世 

gendai.ismedia.jp

兄弟姉妹(エホバの証人では信者をこう呼ぶ)でエホバの教えを学ぶ集会も、訪問も、正直に言えば行きたくなかった。でも、うっかり教えに反することを口にしてしまうと、母から「おしおき」をされてしまうんです。この「おしおき」がかなりキツい。ムチで叩かれるんです。いまは表向きにはしないように、とはなっているようですけれど、私の子供の頃は当たり前におしおきがありました。エホバの証人は聖書原理主義。つまり、聖書の言葉を隠喩とは捉えず、そのままの意味で解釈します。聖書に「しつけにはムチで叩く」と書いてあるから、本当にムチ、正確にはムチ状のもので叩くんですよね。人によってはベルトだったり、電源コードだったり。うちの母はベルトを2本用意して「細いムチ」と「太いムチ」のどちらにするか選ばせました。細いムチって、痛いんですよ。おしりをムチで叩かれると、完全にやる気を削がれます。服の上からではなく、服を脱がせたうえで直接肌に叩きつけるので刺すように痛い。ムチで叩かれる前には、何がどうしてダメだったのかを自分で反省させてから、「お願いします」と、自分が納得していることを示します。叩かれた後には「ありがとうございました」と言わなければいけない。でもその行為の後、母は私を抱きしめて、こう言いました。「あなたが嫌いだからじゃないのよ」――。

(引用「エホバの証人の活動のなかで、最もつらかったこと」元信者が告白(いしいさや) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)

 虐待。

二世の人は生まれた時(もしくは物心つく前)から親によって洗脳され続けるのだから、逃げようがなくて可哀想だ。

Sちゃんだって避けられない環境で育ったのだから、被害者だと思う。

(もし今もエホバの証人の信者だったら、私のことはサタンの手先で哀れな世の人だと思っているだろうけど。)

大抵二世が宗教を離れると、親は口をそろえて「絶縁する」と脅してくる。そういう時はそのまま反対に切り返せばよい。

 カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

どうして宗教にまつわる争いがなくならないのか?

大半の戦争の原因の根っこは、宗教に根ざした価値観の違いにある。宗教組織というのは、とても難しい。規則を強くしなければ、結束力が出てこない。だから他の教団を差別して排除する。逆に教義と規則を弱めてしまうとその団体は緩くなって機能しなくなる。これは企業にも同じことが言える。しかし排他性が強くなると、全ては神か悪魔かという「二元性」の議論が生じる。そして悪であれば暴力を行使してでも強制排除しようと考える。中世にあった教会による異端審問の拷問や魔女狩りがそうだ。宗教には排他性がなければ存在できない。どの宗教でもいいですよと言ったら信者は散らばってしまう。だからどんな形であれ、宗教に属している人は、自分の教団の方が他の教団よりも優れていると考える。もし自分の宗教が優れていないのであれば、最初からやめればいい。でもやめない以上は、自分たちの方がより優れていると信じていることになる。人は自分が理解できないものには攻撃したくなる。それが宇宙人のUFOであってもだ。なんでも不安だからとにかく弾を撃つ。相手が何ものか分かっていれば、握手をしにいって条件交渉を始めるはずだ。本当に世の中全体を平和にしたいのであれば、いろいろな国の人々が、いろいろな神に同時に祈るだけではムリである。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

宗教はなんのためにできたんだろうと思うことがある。

世界では宗教にまつわる争いがいつまでたっても絶えない。

なんであれ、周りに自分の信条を強要しないこと、他の信条を排他しないことが大切だ。

カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫)

カルトだけでなく、宗教全般に対して考えるきっかけをもらえた本だった。