今回は私が樹木希林さんを最強だと思う伝説をまとめる。
本当はそんなじゃなかったでしょ!
━後に悠木千帆から樹木希林に改名したのは岸田森さん(※最初の旦那様)が森だから木とか林をつけたんですか?
樹木:違うんだけど、なんかそれでヤクザの人に脅されたことあったの、私。みんな勝手なこと考えるんだと思って。だけど、よく人が死んだ後に、いろんなのを読むと、たとえば向田(邦子)さんのことを悪く言ったり、久世(光彦)さんのことを悪く言ったりすると、だんだん私のほうがおかしいと思われるようになるでしょ。
━まあ、死んだ人を悪く言っちゃいけないっていう空気はありますからね。
樹木:だけど、作品が残ってる人たちはみんなどんどん巨匠になっていくじゃないですか。そうすると、「本当はそんなじゃなかったでしょ!」って思うんだけど、それは変わってくるんだなって。
(引用hon-nin vol.08)
さらっと「ヤクザの人に脅された」と話していることも驚きなのだけど、たとえ向田邦子であろうが久世光彦であろうが、「本当はそんなじゃなかったでしょ!」と言える樹木さん、好きだ。
飽きたですねえ……
━岸田森さんとの結婚生活は、平穏すぎてダメだったみたいですね。
樹木:飽きたですねえ……。
━裕也さんは飽きようがなかった。
樹木:飽きてる暇がなかったですね。
(引用hon-nin vol.08)
樹木さんのインタビューを読むまでは、「ロックンローラー内田さんとの結婚は大変だろうに」とお節介なことを思っていたが、「いやいや、樹木さんもなかなかロックンローラー」と気づいた。
「私の場合、どうも、上昇志向のようなものが人よりちょっと少ないみたいなんです。若い頃から。“俳優としてこうなりたい”とか、“あの人と比べてこうありたい”みたいな気持ちが全くなかった。そのせいか、25~26歳のときに、生きることに飽きてしまったことがあって……。当時はもう仕事も家もあって、生きる術は整っていたのだけれど、これで60~70まで日常を繰り返して生きていくのかな、と思ったときに深く絶望してしまったの。でも、その一方で、自分の中にどうしようもない、一緒にいる人をダメにしてしまうようなおかしなエネルギーが燻(くすぶ)っていたりもして……。内田のような強烈な人に出会うことで、そんな人生が、もしかしたら変わるんじゃないかと期待したんです。実際には、変わるどころの騒ぎじゃなかったんですけれど(苦笑)。まぁ、自分で決めた結婚なので、最後まで責任は取ろう、と思っているわけ」
(引用樹木希林 伊勢参りで「どろーっとした部分」が消えないことを知る 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット))
面白いと受け取るかどうか
樹木:だけどね、健康でいるときは、ホントにこのまんまでずっといって死ぬのかな、先が長いなっていうのがあったの。それが、夜眠れないだとか年とって起きてくるいろんな諸事情があって、これがあるから、みんな死にちゃんと近づけるんだなって。これはね、楽しみよ、皆さん。
━あ、楽しみなんですか(笑)。
樹木:それを面白いと受け取るかどうか。私の場合は面白いと受け取ったわね。やっぱり内田裕也みたいな人と出会ったからここまで生きられたみたいなもんで、病気と出会ったから健康ということに気がいくようになって。私、けっこう死にっぱぐれてるんですよ。
━まさか以前、裕也さんに殺されかけたこととかはないですよね?
樹木:殺しかけたことはあるけども。
(引用hon-nin vol.08)
刑務所に行くのが嫌で殺さなかったそうだけど、樹木さん、激しく生きてるなぁ。
そして「楽しむ」のではなく「面白がる」精神に、人生経験の違いを感じた。
「面白がる」というのは「なんでもきやがれ」的な感じで、「楽しむ」の更に上をいく感じがする。
(これを読んで、「これからの人生楽しもう」なんて思っていた私はまだまだ甘ちゃん、激甘ちゃんだなと思った。)
面白いわよねぇ、世の中って。「老後がどう」「死はどう」って、頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。予想外の連続よね。楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。
(引用樹木希林「生きるも死ぬも、面白がらなきゃやってられない」 (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット))
お金を貯めるのはケンカっ早いから
━お金を貯めるようにしているのは、希林さんがケンカっ早いからなんですよね。
樹木:そうそう、ケンカっ早いから絶対に食いっぱぐれるだろうと思って。この歳になって役者やってるだなんて思ってもいなかったのね。
━確実に干されると思ってた、と。
樹木:そう。干される前にこっちが辞めてやるってなもんで。もし食えなくなっても自分から頭が下げられないから、じゃあ私は自分の生活は自分で見れるようにしようと思って。で、家賃収入が入るようにしとこう、と。
(引用hon-nin vol.08)
黒柳徹子さんに「どうすればあなたのようにお金が貯まるようになるのかしら?」と聞かれ、「あなたのように洋服や化粧品を買わない。人がいらなくなったのを着て、化粧品は局の備えつけのものを使っている」と答える樹木さん。
インタビューを読むと、樹木さんは世の中の価値観、世間体、常識ではなく、ご自身の頭でしっかり考えて生きているのがよくわかる。
「家族や人から譲られたものを使い回すだけで充分」と、この10年以上もの間、服は買ったことがない。「物の冥利を見極めて終わりたい」と、古くなった靴下ははさみで切ってぞうきんにするなどして、とことん使い切る。一方、不要な贈り物は、「使いませんから」ときっぱり断る。「死後に何も残したくない」との思いからだ。
私も既にこのモードに入っている。
老後はどう考えてもお一人様なので、今(40歳だけど)から死ぬまでに少しずつ物を減らしていこうと考えている。
「希林さんは独学で不動産を学んだそうです。彼女いわく『とにかく、自分の足と目で見ることよ』と。なんでも、いろいろなところに情報網があって、いい物件があるとすぐに彼女に連絡がくるそうです。連絡がくると、撮影中だろうが収録中だろうが、お構いなしに見にいくそうですよ(苦笑)。そのとき、現場のスタッフに向かって『あなたたちが私の生活の面倒を見てくれるの?』と言うのが決まり文句だそうです。大御所にそう言われては、スタッフもどうしようもないですよ」(番組プロデューサー)
島田紳助さんもそうだけど、芸能界で一流になった人は投資の才能もあるのか?
「帰んな」
━学校は行っていた?
樹木:幼稚園に行かされたの。母親が働いていたから。父親が乳母車に乗せて幼稚園に行くの。乳母車乗っけないと私が嫌がるから。で、幼稚園に着くと人が集まってくるじゃない。恥ずかしいから乳母車から降りて父親に『帰んな』と言うの。ひとことだけ。嫌なやつなのよ(笑)。
かっこよすぎなんですけどぉーーーーーー!!!
しかも幼稚園児の分際で父親に『帰んな』って(笑)
お父さんはゆったりした人だったそう。
良かったなぁと思うのは、親がマイナスの部分を持つ子を叱らなかったこと。4、5歳のときに私は高い所から落ちて頭を打って、その日以来、小学校高学年までずっとおねしょしてた。毎朝、学校に行く前に布団を干すのが日課だったのよ。ふつうだったら親が怒ったりすると思うけど、食べることに精いっぱいで子どもに構っていられなかった。おまけに父はゆったりした人で、私が学校を休んでも叱るどころか「学校を休んだのか。こっちおいでよ」なんて手招きするような人だった。期待されないのが良かったわねぇ。
(引用樹木希林「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット))
是枝監督と本木雅弘から見た樹木希林
よく彼女の歯に衣着せぬ直言を「毒舌」だとか「暴言」と評する人がプロの記者やレポーターの中にもいるけれど、それは違う。彼女は決して背中から切りつけたりしない。相手の正面から、ふりかぶって、鉈を振り下ろす。それは清々しささえ漂う潔さである。(中略)しかし、僕が彼女を尊敬してやまないのは、撮影現場に約束の時間よりも一時間早く、ひとりで車を運転してやって来て、楽屋で台本を膝の上に開き、目をつぶってひとり台詞の練習をしている希林さんである。
真正面から鉈を振り下ろされるのは怖いけど、樹木さんは正直に接すれば怖くない人だと思う。
(取り繕ったり、誤魔化したり、お世辞なんて必要ない人ではなかろうか?)
巧みな話術でインタビュアーを笑わせてくれる本木。思えば本木は、舞台挨拶や会見でも常に場を盛り上げるムードメーカーという印象があるが、それは義母・樹木希林の助言に基づいているそうだ。「樹木さんから『芸事はたくさんの人に見てもらわなければもったいない』と言われて。それはCMの現場でも、舞台挨拶1つを取ってもそうだと。『同じ話をしていると、記者の人たちだけではなく宣伝部の人もつまらないと思うじゃない。その人たちが退屈な時間を過ごすのなら、ちょっと楽しませなきゃと思って、自分から面白がるの。そういう言葉の端々が記事にも出て行くでしょ。芸事は見られて何ぼ、聞かれて何ぼだから』と。でも、私はまだまだその域には達してないから、駆け出しのお笑い芸人みたいに必死にネタ作りの日々が続いて消耗しまくってますよ」。
ここでも「面白がる」の発言!
知れば知る程、ファンになってしまう。
(カッコイイっす、樹木希林さん。)
映画『日日是好日』は絶対映画館に観に行こう。