なぜ、相手は自分をなかなか理解してくれないと思ってしまうのか?
なぜ、いつもあの人には話が通じないと思ってしまうのか?
なぜ、悩みや不安はいつまでたっても消えないのか?
なぜ、都合の悪いことは無意識でシャットアウトしてしまうのか?
なぜ、「本当の自分」があると思い込んでしまうのか……
「他人」の壁 唯脳論×仏教心理学が教える「気づき」の本質 (SB新書)を読んだ。
タイトルが気に入って読んでみたのだけど、スラスラ読めた。
「人なんてわかりようがない」と思えば楽
名越:でも、僕もそうですよ。昔は人をわかろう、わかろうとしていましたから。僕、一人っ子だったんですけど、友達には兄弟がいたりして、聞いているとお互いにケンカしたり、仲直りしたり、ときには過酷なことも起こるわけですよね、兄弟の間で。(中略)でも僕には兄弟がいないから、余計にわかってあげないといけないんじゃないか、そういうことを意識しないといけないんじゃないかというね。特に精神科を志してからはその気持ちがさらに強まって。そういう幻想はありましたよね。
養老:たしかに幻想かもしれないけど、人ってそういうものでもありますよ。それが「ああ、いいや別にいいや」となるときがくる。
昔は家族や近しい人とは「わかりあわなくてはいけない」みたいに思っていたときもあったけど、今は一切ない。
以前勤めた会社にとても穏やかで素敵な女性がいて、その方に「あなたの旦那さまはあなたのような穏やかな人と結婚できて幸せですね」みたいなことを言ったら、「私の旦那は私ののんびりしたところにイライラしてブツブツ言うときありますよ。そういうときは聞き流してますけど」と言っていて、なんかいいなぁと思った。
お互いのことを全て理解し合うなんて無理な話だ。
「受け流す」「聞き流す」というのは、人と生活する上で大事なスキル。
私が母との同居生活がうまくいっているのは、「適度な距離感」だと思っている。
母と私は性格も好みも正反対なところが多いけど、お互い「なんであんなことやっているんだろう」と思いながら何も言わずに生活している。
養老:僕に言わせると、なんでわからなきゃいけないのかという話なんですけどね。わからなくたって、お互いがぶつからなければいいだけなんですよ。自分はこっち行くけど、あなたはあっちへ行く。そういうことでまったく問題ないし、人ってそういうものだと思いますけどね。
同じ俺なんていない
養老:個人というのは、物質的に見たって変化しているんですよ。去年の自分と今の自分では、身体を構成している物質だって入れ替わっていますから。人間を構成している成分は、7年で100パーセント入れ替わるんですよ。だから僕は、人間は川のように流れ移り変わるんだと、本当の自分など存在しないと言っている。「同じ俺」なんていない。
身体を構成している成分だって変わるんだから、考えが変わるのも当然なわけで。
1年前に書いたブログを読み直して、「この頃と少し考え方変わった」と思うことはよくある。
人はマイナーチェンジとメジャーチェンジを繰り返しながら死んでいくのだろう。
実利を求めるより、環境を変えてみる
養老:だいたい、実利なんてことだけ動機にしていても、人は行動を変えませんよ。
名越:それがわかってもらえない。(中略)プラスアルファの実利なんて、人を動かす力なんかない。本気で変える気があるなら、人生のどこかで、頭の中のステージを全部ガランと音を立てて変えてしまわないとダメですね。人生の方向性そのものを大きく転換させるという。そういう人もまれにいます。多くはないですが。
養老:環境を変えるというのはすごく大事なんです。空気を全部変える。そうすると人間が変わりますからね。
phaさんの『しないことリスト』には、人間が変わるには「時間配分」「住む場所」「つきあう人」を変えるしかないとあった。
私もその通りだと思う。
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養老:自分がある日、がらっと変わってしまって、世界が変わって見えてしまうという経験を、人生の中で常に繰り返していけば、究極は死も怖くなくなるんです。だって、昨日までの自分が死んだという経験をすでに繰り返しているわけだから。
「意味」で満たすことの恐ろしさ
名越:木はなんの意味もなくただそこに生えている。
養老:山行ったらすぐわかるんだけど、石ころにしても、風が吹くにしても、何にしても、意味がないものに囲まれるんです。だけど、都市の環境の中にいたら、すべてが意味を持ってしまう。それで、おかしな人が発生しているんですよ。「こいつらに生きている意味があるのか」と考えて人を殺してしまうわけでしょう。
名越:ええ、19人が殺害された相模原の事件ですよね。生きている意味がないといって殺してしまった。非常に象徴的な事件ですね。
現代は生きることの「意味」や「意義」を求め(過ぎて)疲れている人が多いように思う。
「そんなものはない」と思って生きたら、もう少し気楽に生きることができる。
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たとえ家族であっても、ある程度の「壁」は必要。
それでいいのだ。
養老:価値観を他人なんかに置かないで、「俺がどう生きたらいいか」を考えてさ。一生をかけて、人生という作品をつくっていけばいいんです。せっかく寿命もらっているんだから、誰に気がねすることもなく、思う存分に生きてみようと思えばいいんでね。