女が動かす北朝鮮 金王朝三代「大奥」秘録 (文春新書)を読んだ。
日本時間6月12日、シンガポールで史上初の米朝首脳会談が行われた。
I want to thank Chairman Kim for taking the first bold step toward a bright new future for his people. Our unprecedented meeting – the first between an American President and a leader of North Korea – proves that real change is possible! pic.twitter.com/yF3iwD23YQ
— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) 2018年6月13日
日本の拉致被害者問題の解決、非核化について今後どうなるか関心のある人も多いだろう。
もちろん私もその一人。
日本海を隔てたすぐ近くに位置する北朝鮮は、閉じられた国家ゆえ、近隣の国なのに情報は少ない。
私の北朝鮮に対するイメージは「残虐非道で嘘つきの独裁者がいる国」。
北朝鮮というと、金日成や金正日、金正恩といった男性の独裁者に目がいきがちだけど、この本は金一族の女性たちにスポットが当てられている。
彼女たちの韓国ドラマさながらのエピソードは、今までと違った角度から北朝鮮を見ることができた。
北朝鮮の歴史についてもおさらいできるので、北朝鮮についてあまり知らない私には入門編としてピッタリの本。
今回は今後の北朝鮮の動向を見る際の参考として、金一族の家系図を作って自分なりにまとめておく。
金一代目家系図
金正淑(キム・ジョンスク)
正淑は金日成の妻で金正日の生母。
北朝鮮では「三大革命将軍」「国母」など最大級の賛辞が付けられている人物。
正淑は金正日が7歳のとき、わずか32歳の若さで孤独死したといわれている。
ちなみに金正恩の母親は在日コリアン出身。
北朝鮮では在日コリアン出身は監視や差別の対象となるため、公にすることができない。
そのため正恩は祖母である正淑の偶像化を通じて、指導者として自分の正当性をアピールしているそうだ。
美談はねつ造
金正日は母である正淑を美しいエピソードで神格化したが、実際はそうではなかったようだ。
ちなみに金日成と正淑の長男である正日と次男のシュラ(池に落ちて死亡)はソ連で生まれている。
北朝鮮では純血性が重視されるので北朝鮮で出生したとされている。
敬姫(正日の妹)は北朝鮮に戻って産まれている。
妻という肩書きはあったが、実際は北朝鮮が主張するように、戦場で華々しく活躍したのではなく、後方で下働きの仕事をしていたというのだ。
歴史なんて、その時代の権力者に都合のいいように書き換えられたものもあるよね。
私たちが勉強してきた歴史も、本当に正しいかどうかはわからないけど、大事なのは世界の人達がその歴史をどう解釈してどう動いているかを知ろうとすること。
金日成によるいじめ
マイケル・リー(元CIA要員)によれば金日成は、抗日闘争の時期には、献身的な正淑を確かに大切にした。ところが、自分が北朝鮮の指導者になった後には、正淑を、表舞台に一切出さなくなった。「ハングルも十分読めず、外貌も平凡だった」(リー)ためだという。
ちなみに日成が正淑に対してのこのような態度は、北朝鮮でも広く知られていたそうだ。
(多くの脱北者が証言)
しかしこの話を公の場所ですると、最悪の場合は収容所に送られたそう。
失意の中、孤独死
脱北者で大学教授の康明道は、韓国のケーブルテレビのトーク番組の中で、「正淑は、夫に自分以外の女性がいると気がついた。亡くなる日の朝、『私を選ぶのか、別の女を選ぶのか』と迫ったため、金日成は家を出てしまった。ショックで部屋にこもっている時に産気付き、亡くなった」と明かしている。
日成は別の女性と不倫関係にあり(後に出てくる金聖愛)、当日家におらず。
正淑が死亡したと連絡を受けて駆け付けたのは翌日になってからだった。
金聖愛(キム・ソンエ)
タイピストから妻へ
金聖愛は、金日成の安全部副部長のタイピストとして働いていた。
元々の名前は金ソンパル。
ずばぬけた美人ではなかったが、かわいらしく、愛嬌があったと言われている。
日成から好意を抱き、安全部副部長付けから自分のタイピストとして引き抜き、のちに同居し不倫関係となる。
金正日より強まる発言力
朝鮮戦争のあと、長男である平一を産み、日成と正式に結婚。
結婚、男の子の出産を通じて権力基盤を固める。
1970年の党大会で中央委員に選ばれ、翌年には朝鮮民主女性同盟の委員長まで上り詰める。
日成は「聖愛の話は自分の話と同じ政治的比重を持つ」と話し、長男の正日の発言力より大きくなる。
ファーストレディーの座を掌握
聖愛は事務室に掛かっていた先妻、金正淑の写真を外し、康盤石の写真と自分の写真を掛けた。先妻の痕跡を歴史から消すために、正淑に言及したすべての文書を削除し、彼女に関連した分を書いた文筆家を地方送りにした。
気が強いというか、なんというか、こわい。
性格は火のような激しさで、夫の前で食卓をひっくり返したこともあったそうだ。
正日による「聖愛」外し
自分の母を苦しめた聖愛を快く思うはずない正日。
外交の場にも顔を出していた聖愛だが、徐々に正日による「聖愛外し」が始まる。
継母とはいえ、金日成の正式夫人であるのでむやみに手を出すことはできない。
そこで正日は聖愛の弟の不正スキャンダル(不祥事の多い弟のようだった)を続々と暴き出し、聖愛がトップを務める女性同盟の地方下部組織を解散させ、聖愛の権力基盤の切り崩しを始める。
正日は父である日成にも時々歯向かう。
(父は正日に「どうすれば私の言うことを聞くのか」と問うと、「母親(正淑)を生き返らせて欲しい」と言い返したエピソードもあるそう)
小説や随筆、新聞などの資料から「金聖愛」の名前と彼女の写真を残らず削除せよという指示も出されていた。息子と継母との間の争いは、深く、静かに始まっていた。
ちなみに弟の不正スキャンダルで、日成と聖愛の間で激しい言い争いがあったと想像されるとこの本には書かれている。
国外追放された聖愛の子どもたち
日成と聖愛の子どもたちは皆、正日によって国外追放。
長男の平一は聡明で、朝鮮人民軍の勤務経験もあり、軍の指示も厚かった。
しかし正日の指示により、平一と会った人は処罰され、親しい関係の人間は収容所に送られた。
聖愛の親族や関係者は「小枝」と呼ばれ、会うこと・共に食事をすることも禁止された。
現在チェコ大使として勤務している平一は、本国からの送金はほとんどなく、経済的には苦しいと思われるとこの本にはある。
(北朝鮮の大使館はどこも本国からの送金はほとんどないので、現地で何らかのビジネスをして運営資金を作っている)
聖愛は南山学校の他の父母には、「金正日には党を、平一には軍を、英一には政府を任せれば良い」と住み分けを主張していたが、金正日は聞かなかった。容赦なく権力を独占し、党の資金も掌中に収め、腹違いの2人の弟を蹴落とした。
地方の専用別荘でひっそり死去
聖愛は2014年12月、地方の専用別荘で死去。
ただし金正恩によって記事化は抑えられる。
今の北朝鮮の若い世代は聖愛の存在自体知らないのだそう。
金正日は、自分と金日成、金正淑を「白頭山の三大革命将軍」と呼ばせた。さらに母親に「抗日の女性英雄」「国母」などの称号を惜しげもなく贈り、金正淑の名前を取った幼稚園や大学も建設するなど、永遠に名前が残るよう、執拗なまでの努力を続けた。
金二代目家系図
成蕙琳(ソン・ヘリム)
金正日の初恋の人
成蕙琳の父は韓国南部出身の大地主。
父も母も日本への留学経験があり、二人は日本で出会う。
蕙琳には姉もいるが、当時としてはめずらしい高学歴の女性だったよう。
蕙琳が中学2年生の時、北朝鮮の体制に共鳴した母に連れられ北朝鮮に渡る。
平壌では、撮影現場で白いご飯も出て待遇もいいといわれていた演劇の世界に入る。
北朝鮮では「三大人気女優」という評価を受け、若い男性のあこがれの存在だった。
最初の結婚
李平という男性と19歳の時に愛情を感じないまま結婚。
李平の父は朝鮮作家同盟の委員長という要職にあった男で、なんとしても息子と結婚してほしいと強引に押し切られた。
この男性との間には長女が産まれている。
しかし李平の友人である最高権力者の息子、正日も彼女に惹かれた。
母親を早くに失い愛情に飢えていたせいか、穏やかで洗練された蕙琳と自分の母親の姿を重ね合わせていた。
極秘の同棲と結婚
正日と蕙琳は1968年に出会い、翌年から同棲を始める。
正日28歳、蕙琳32歳のときだった。
この新婚生活は極秘のものだった。
金正日に関係する女性や家系は徹底した秘密だ。もしうかつに口に出した場合、秘密警察である国家安全保衛部、一般警察に相当する人民保安部の捜査対象となる。北朝鮮では、指導者の結婚に関する話を知ろうとすることはタブーであり、「神様が結婚した、と聞くような別世界のできこと」(ある脱北者)なのだ。
この頃の正日は後継者としての地位が不安定だったため、蕙琳との不倫から結婚といった不道徳的な行動は徹底的に隠蔽された。
その為、二人の関係を知る者は収容所へ送られている。
長男正男の誕生と他の女性との結婚
1971年5月に長男である正男が誕生するも、こちらも極秘扱い。
結婚と子供の誕生を知らない日成は、金英淑(キム・ヨンスク)との結婚を正日に勧める。
蕙琳は手元に正男を置いておけると考え、反対せずに結婚を勧めた。
英淑は朝鮮労働党で働く未婚女性の中から正日みずから選んだ。
二人の間には雪松、春松という娘が産まれた。
北朝鮮出身の元舞踏家で、後に韓国に亡命した申英姫は、英淑について、「その女性は容貌もあまり良くはなく、息子ではなく女児を2人産んだせいで、夫婦仲が悪いという噂が広がった。
修羅場
妻の座を奪われ極度の神経過敏、不安の発作に陥るようになる蕙琳。
正日の妹である敬姫には、正男を置いて家を出るよう言われ、正日に自分たちのことを日成に話すと脅すも、ピストルを持ち出し撃ち殺すと脅す正日。
家の中で修羅場が続き、ついに蕙琳は長い闘病生活に入る。
1973年秋にはソ連に治療のため旅立ち、正男と離れることとなる。
平壌とモスクワを行き来する生活になるも、正男に弟が必要だと考え身ごもるも、二回とも流産したと伝えられる。
正男がスイスに留学した際、ジュネーブでも療養を続けたが、病状は悪化した。
そうしている間に正日にまた新しい女性が現れる男の子が産まれたと噂が広まる。
正男は父親とは疎遠になり、生活は荒れた。
1996年蕙琳の姉がスイスに亡命し、蕙琳も亡命したのではないかと報道が出るも、実際はモスクワで孤独な治療を続け、2002年に65歳でひっそりと死去した。
金正男(キム・ジョンナム)
極秘扱いだった正日と蕙琳の結婚はもちろん、息子である正男の誕生も秘密であった。
その為、不憫に思った正日は幼い頃の正男に多くの愛情を注ぐ。
1975年4月、正日は父である日成に正男の存在を認めてもらうため事実を打ち明けていることとなる。
激怒する日成だったが、自身も自分の看護婦に手を出し子供を産ませ、正日に相談したばかりだったので、結局正男と会うことにする。
(ちなみに看護婦に産ませた子供は、娘である敬姫が自分の子供として育てたよう)
しかし実際会った日成は自分そっくりの正男を気に入り、暇さえあれば自分のそばに置いて可愛がった。
スイスでエリート教育を受けた正男は欧州各地を旅行しながら見聞を広げた。
父親から深い愛情を受けていた正男が後継者になるという見方が強かったが、本人は政治には興味がなかったようで、金正恩が後を継いだ。
異母弟の正恩が最高指導者の地位に上がったことで平壌に帰ることは不可能になったが、経済や技術開発の一面で祖国に貢献していた。
しかし昨年2月、マレーシアで暗殺されてしまう。
先日見たCNNの特別番組『The two faces of Kim Jong UN』で、「中国とつながりを強くしている正男が政権の脅威になると危惧した正恩が暗殺の指示を出した」との見方を報じていた。
CNN Special Report || THE TWO FACES OF KIM JONG UN
もし生きていたら、史上初の米朝首脳会談についてどう思っただろう?
北朝鮮がアメリカと握手する日を一番夢見てたのは、金正男なんだよなあ。米朝友好ムードの中でも、彼が暗殺されたことは忘れんぞ。— 片岡K (@kataoka_k) 2018年6月12日
高容姫(コ・ヨンヒ)
大阪出身の踊り子
正日の3番目の妻は目鼻立ちのすっきりした大阪出身の韓国人の高容姫。
容姫の両親はよりよい暮らしを求めて韓国から日本の大阪に渡る。
ただし当時の朝鮮人労働者の給与は日本人より低かったため、生きていくのがやっとのレベルだったであろうとこの本には書かれている。
容姫の父親は韓国から日本への密漁船の運航をして警察に逮捕される。
その後強制退所処分となるが、父親には複数の愛人や子供がおり、過去を清算するため家族で北朝鮮に渡る。
しかし北朝鮮での生活は、日本で聞いていた「天国」とは程遠いものだった。
あらゆる面で差別され、苦しい生活を強いられた。
(ちなみに、北朝鮮のプロパガンダ用の雑誌に、「日本の生活は最悪、北朝鮮最高!」の嘘の容姫一家の記事が掲載されている)
そんな中、容姫は高等中学を卒業後、北朝鮮で最高レベルといわれる平壌音楽舞踊大学に入学。
背が高く美人で踊りもうまかったので、周囲から高い評価を受けていたよう。
正日に見つかる
1970年代後半、容姫をたまたま目にした正日は、外部に公開されていない練習室にまで足を運んで入れ込んだ。
ほどなく容姫は芸術団に姿を見せなくなり、正日と同居しているという噂が流れた。
喜び組
容姫は芸術団の踊り子のほか、「喜び組」として働き、正日に気に入られる。
「喜び組」とは、正日やその側近たちと宴会をしたり談笑したり、バンドといっしょに歌や踊りを明け方までやるのだそう。
他にはブラックジャックや麻雀などでお金を賭けたり、無理やりお酒を飲ませることもあったそう。
(女性たちは下着姿になることもあった)
ちなみに「喜び組」は女性だけでなく、若い男性もいて、夜の宴会に出る人もいれば最高指導者の住居などの維持管理をする人もいた。
(「喜び組」に選抜されると10年ほど家族と連絡が取れなくなる)
正日の女性関係
晴れて金正日の私設秘書に選ばれても、別の幹部に手を付けられ、飽きられると北朝鮮の外交官と結婚させられる
正日と関係した女性の噂は多く、容姫は正日の女性関係に神経を使っていたよう。
乳がんと脳梗塞
美しいだけでなく、夫の仕事を寝る間を惜しんで助けた容姫。
意見を求められるとしっかり発言し、重要な政策に容姫の意見が反映された可能性もあるそう。
そんな容姫だが、1990年代前半からフランスで乳がんの治療を受ける。
手術は成功するも今度は脳梗塞で倒れ、2004年6月に治療先のパリで亡くなる。
容姫の墓には日本出身ということは書かれていない。
そして、容姫の次男である金正恩は祖母である正淑の偶像化は進めるも、母の偶像化は行っておらず、後継者として登場してからは、容姫のことは公式に言及していない。
金玉(キム・オク)
最後の妻で陰の権力者
正日の最後の妻となった金玉は、1964年生まれ。
平壌音楽舞踊大学でピアノを専攻し、1980年代初めから正日の秘書を務めていたといわれている。
二人の関係は、3番目の妻である容姫も半ば公認していたので、容姫が出席しなければならない席に玉が代理で出ることもあった。
正日は私生活では容姫に依存していたが、仕事や資金管理面では玉に頼っていた。
容姫は自分の余命が短いことがわかると、子供の正哲と正恩の面倒を見て欲しいと玉に依頼したという。
2008年に正日が脳卒中を起こした時、玉しか正日に近寄れず、玉を通さないと決裁も取れないと韓国紙は報道している。
気が強い
玉は外見からは想像できないほど気の強い女性だったようで、正日にも遠慮はなく、時にヒステリーを起こしてぞんざいな口をきいた。
彼女以外の女性は、最高指導者の前に出ると感激し、緊張した。金正日にはそれがどこかウソに見えたのかも知れない。勝手気ままに振る舞い、その分てきぱきと身辺管理をしてくれる金オクがおもしろく、可愛かったのだろう。
正日の寵愛を受け、自分の魅力を最大限に活用した玉は、幹部たちにもぞんざいな態度で接する。
失速
正日が死去してからは後ろ盾を失い、玉の権勢は失速。
最後は全ての職から解任されたと2013年に報じられている。
米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、玉の家族は収容所に送られたとのこと。
金三代目家系図
金与正(キム・ヨジュン)
兄を継ぐ女帝候補
【米朝首脳会談】
— Chieko Nagayama (@RibbonChieko) 2018年6月12日
署名式の写真
トランプ大統領にはポンペイオ国務長官
金正恩委員長には妹 金与正氏
妹は、韓国との南北首脳会談の署名式にも出てきたから、ここは独裁国家…一族で行うということなのだろう pic.twitter.com/mBYSrh3P5o
先日の米朝首脳会談でもサインする兄にペンを渡していた妹の金与正。
この写真を見るだけでも、彼女がとても重要なポジションに位置し、金正恩に信頼されていることがわかる。
正恩は幼い頃より与正を可愛がっている。
与正と直接会った数少ない人の印象は、底抜けに明るい女性だそう。
健康問題が心配される金正恩。
祖父の金日成をまねて増えた体重は130キロ。
坐骨神経痛、軽い糖尿病の説もある。
この先どんな事態が体に起こるかわからないが、万が一の場合には、妹の与正が国のトップに座ると見られている。
すべての道は与正に通じる
兄である正恩の秘書室長として、兄のスケジュール管理、ヘアスタイルや眼鏡のフレームもコーディネートしてきたそう。
アメリカの元プロバスケット選手、デニス・ロッドマンの北朝鮮訪問も企画したという。
母親が日本生まれであることも関係しているのか、通訳が必要ないほど日本語が堪能だと「朝鮮日報」は報じている。
この本では、与正が日本のテレビやメディアを見ている可能性もあるとしていた。
(ちなみに兄の正恩はアメリカのニュースやドラマを見ているとCNNの特別番組では伝えていた)
与正は指導者としての経験を積むため、軍事パレードに一介の兵士として参加したことがあるとのこと。
最高権力者の家族でありながら積極的に苦労をする姿勢は、兄の信頼を得ているそう。
また兄の右腕である雀竜海の二男の雀ソンという30代前半との男性と結婚している説が有力のよう。
金敬姫(キム・ギョンヒ)
一族のまとめ役
金正日の妹であり金正恩の叔母である敬姫は、かつて金一族のまとめ役であった。
正日は当初三代世襲に対して否定的であったが(絶対権力を誇った正日でさえ世襲を続けることに負担を感じていたよう)、家族以外に権力を譲り渡した場合、自分の罪状が暴かれ家族に累が及ぶのを恐れた。
結局自分の名誉と権威を維持するため、息子に権力を世襲せざるを得なかった正日。
敬姫に「後継者は正恩が良いと思う」と話したところ、「分別がない子供に、どうやってこの国の運命を任せられるでしょう」と物申す敬姫。
一緒に食事をしていた正恩は箸を投げつけて出て行ったようだが、敬姫が言う「分別がない」行動をする正恩。
公開銃殺
敬姫の夫である張成沢は自分に権力を集中させ、軍から経済部門を奪い、自分の元に集中させた。
ホテルを改造した自分専用のゲストハウスを持ち、女性をはべらせ乱れた生活をし、敬姫は成沢の浮気癖に悩まされた。(正恩の妻である李雪主とも愛人関係にあったという報道もある)
マレーシアの秘密口座に巨額な金を隠し持ち、親族や部下たちはこの秘密資金を使って遊び回ったという。
敬姫が健康悪化で外国に治療に行ったことを契機に、成沢を苦々しく思っていた勢力が攻撃を始める。
2013年12月12日、国家安全保衛部特別軍事裁判で死刑を宣告され、公開銃殺された。
判決文は、張成沢を「犬にも劣る醜い人間のゴミ」と呼んでいた。死刑は直ちに執行されたが、単なる銃殺ではなく、機関銃を乱射するなど、残忍な方法だったと伝えられる。
CNNの特別番組では、正男を暗殺したときと同じく、成沢と中国との関係性を危惧した正恩が死刑にしたのではないかとしていた。
自殺した娘
敬姫と成沢の長女、琴松はパリで自殺している。
そのため金正日と蕙琳の長男である正男を自分の息子のように可愛がったという。
その正男や夫である成沢が正恩によって粛清された今、敬姫に関しては、自殺説や認知症説、海外で治療中説が飛び交っている。
この本では、最高指導者である正恩の叔母でもある敬姫が亡くなることがあれば、当然国内で報道されてもおかしくないとしている。
ということで、筆者はまだどこかで生きているだろうとしている。
金雪松
正日は自分の妹である敬姫に絶対的な信頼を寄せ、遺訓の執行や正男をはじめとする家族の去就、国内外の資金管理責任などすべて敬姫に任せるとしていた。
しかし今では公式に姿を見せることはない。
正日と英淑との長女である雪松がこの役割を引き受ける可能性は少なくないと、この本には書いてある。
李雪主(リ・ソリュジュ)
楽団の看板歌手
現最高指導者・金正恩の妻である李雪主は発足直後から注目を集めた銀河水管弦楽団の看板歌手であった。
雪主とは別に、この楽団に所属していた別の2人の女性とも正恩は関係が噂されていた。
しかし最終的に雪主が妻の座を手にしたのは、父である正日の実母である正淑に似ていたためだとされている。
正恩は最高指導者の地位に就くために、祖父である日成のように髪の毛を刈り上げ、歩き方や演説するスタイルも似せたという。
英国のダイアナ妃を意識
祖父と父は力強さをアピールしていたが、正恩は夫婦円満なところを見せて市民に笑顔を振りまく。韓国のファッション専門家は、李雪主が、英国のダイアナ妃を意識し、庶民的でありながらも目立つ服装を選んでいると指摘している。
母である容姫を表に出さず隠し続けた父への反発か?
また容姫が在日コリアン出身である事実が北朝鮮の一般大衆に知れ渡ると、経歴を誤魔化しても噂は広まり事実が明るみに出てしまうので、夫人である雪主を偶像化しようとしているのかもしれないとこの本にはある。
ブランド志向
北朝鮮の労働者の年間給与に匹敵する高価なブランド物が好きなようだが、世間の反発を意識してか、一時雪主のファッションが地味になったこともあったそう。
北朝鮮住民の間では、李雪主に対する非難が若い層を中心に拡散しており、「おしゃればかりに気を使う人間は、国母にはなれない」という手厳しい声もあるという。
北朝鮮を専門に研究する韓国・北韓大学院大学の教授によると、正恩の妹である与正は補佐および参謀らしくブラックメインでまとめたファッション。
反対に雪主は派手で多様なファッションをすることで、ファーストレディーのイメージを追求しているのではないかとしている。
まとめ
このブログに書ききれなかったけど、金正日の女性関係は他にもたくさんある。
この本の最後の章には脱北した「喜び組」の女性や大韓航空機爆破犯の金賢姫のこと、愛人のことなどまとめられている。
脱北者の7割が女性ということで、圧倒的に女性が多い。
男性の脱北の動機が「北朝鮮の体制への不満」が大半な中、女性の動機のほとんどが「食糧不足、経済的困窮」だそう。
北朝鮮への経済制裁は効果があるのだろう。
平壌で暮らす北朝鮮の約10%の人たち以外は今も飢えに苦しんでいる。
約30年前、北朝鮮の人々は中国国民の2倍も裕福でした。北朝鮮が現金収入を得る方法について解説します https://t.co/ROgDHf4tHG pic.twitter.com/ox0nOmquCP
— ブルームバーグニュース日本語版 (@BloombergJapan) 2018年6月17日
国からの配給は止まったまま。
国民は自分たちで食糧を売り生計を立てているが、経済的に苦しい金正恩体制は見ないフリをして許している。
今の北朝鮮はまさにハイブリッド経済。
金正恩体制になり脱北者の数は大幅に減っているそうだが、これは国民が体制に満足しているからではない。
取り締まりが厳しくなり、中国が脱北者を積極的に送還しているからだという。
「金正日は権力バランスの調整にかなり気を使い、とくに軍と党の力関係に神経を使っていたという。人事問題で正恩と意見の衝突が多かったようだ」 (中略)正恩は父亡き後、強大な権限を持ち、叔父の張成沢をはじめ、軍の幹部を次々に粛清していった。父は、息子の将来に大きな不安を持っていたが、それは正しい見方だったことが、のちに分かってくる。
正日の遺訓には、
- アメリカとの心理的対決で、必ず勝利しなければならない。
- 合法的な核保有国として堂々と立ち上がることで、朝鮮半島でアメリカの影響力を弱化させなければならないし、国際制裁を解いて、経済発展のための対外的条件を用意しなければならない。
- 歴史的に我が国を最も困難にさせた国が正に中国。中国は現在、我々と一番近い国だが、今後、一番警戒しなければならない国家になりうる国だ。彼らに利用されないようにすること。
などが残されているそう。
北朝鮮との国境近くの中国で10の工場が稼働しているとのこと。おそらく北朝鮮労働者を使っているとみられる。だんだん制裁が緩んでいく。 https://t.co/5ORZf35lAF?
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2018年6月19日
トランプ大統領は帰国直後に「オバマ前大統領は、北朝鮮が米国の最大かつ最も危険な問題だと言ったが、もはや違う」とツイート。実に興味深い一言である。北朝鮮が「米国最大かつ危険な問題」でなくなると、一体どこの国がそれになるのか。トランプ氏の心の中には、それはまさに「中国」ではないのか。
— 石平太郎 (@liyonyon) 2018年6月13日
金正恩はこの先どう出るか?
中国につくか?
アメリカに従うか?
国民の不満を抑え続けることができるか?
完全に非核化して制裁が解かれ、アメリカが金王朝の体制を保障したとしても、資本が北朝鮮に入ってくれば同時に情報や人も物も入ってくるわけで。それは金王朝の終わりの始まりになるんじゃないの?
— akariasa (@akariasakana) 2018年5月27日
オレは月並みな予想。「北朝鮮の非核化と朝鮮戦争の終結という歴史的な政治判断がなされる可能性は高い。ただし、実務はこの後も長々と続くのだろう。早い政治決断と遅々として進まない実務というジレンマが広がることになるだろう。」https://t.co/67piInwn60
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2018年6月12日
私は拉致被害者全員奪還と非核化が完全に遂行されるまでは絶対に経済制裁を解除すべきではないと思っている。
この一族に関わった女性たちの視点から振り返った北朝鮮の歴史。
とても勉強になる本だった。
強力な独裁者の下に固く団結しているかに見える北朝鮮も、女性たちがその足下を崩しつつある。
ほんこん「在京の番組が『金正恩を偉大なる若い指導者』と言ってるがちょっと待てよと。そんなもんどの口が言うとうねん。誘拐していって身代金よこせと言ってるのに、そういう事を言ってるメディアはあかん。在韓米軍が撤退したら喜ぶのは中国。戦勝国の思惑で動いてる事を日本人はもっと認識すべき」 pic.twitter.com/cw97YsIsjD
— ブルー (@blue_kbx) 2018年6月16日