野沢直子さんの笑うお葬式を読んだ。
野沢直子さんの父親ほど破天荒で魅力溢れる人物がほかにいるでしょうか。まったく奇抜なアイディアで事業を成功させたり、完全に失敗したりを繰り返し、愛人をあちらこちらに持つ父。しかし家族のことは大切にしていました。その父が死に、通帳には千円の残高しかなかったのでした。
父には一生背負わなければならなかったある経験がありました。それらの秘密や、家族の大切な記憶が徐々にひもとかれていきます。野沢さんの祖父は、直木賞候補と目された作家、陸直次郎。一家を支える三味線の師匠である祖母と、夫を信じ、愛人との駆け落ちも受け入れる母。叔父に声優の野沢那智氏。事業を手掛けては失敗する父と、成功を信じて疑わない母。その間で、野沢さんは懸命に「お笑いの道」を目指します。ところが母親の死後、韓国人の隠し子が現れ、最後の章では、誰もが仰天するあらたな出会いが待っています。
いやぁ、泣いた。
まさかこんなに泣くとは思わなかった。
私があまりに泣くものだから、側で寝ていた猫が不思議そうに何度も私の顔を見ていた。
野沢さんはデビューしてまもなくテレビに出るようになり、下積みの経験もほとんどないまま、瞬く間に売れっ子スターになった。
若い世代の方はご存知ないかもしれないが、今から30年程前、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさんと一緒に「夢で逢えたら」という伝説的お笑い番組に野沢さんも出演していた。
当時10歳だった私はこの番組が本当に好きで好きで、ビデオテープに録画して、擦り切れるまで何回も何回も見た。
土曜の深夜に放送されていたのだけど、日曜のお昼になると寂しくなったものだ。
そして金曜が来ると、「明日また夢あら見れる!」とワクワクした。
(この番組のキャスティングした人、先見の明ありすぎ。ダウンタウンもウッチャンナンチャンも、いまだに第一線の活躍)
この頃の私は、当たり前だけど、野沢さんが破天荒な家庭で育ったことなど知ることもなく、笑い転げていた。
この本を読んで野沢さんの育った環境を知り、デビューまもなく売れたのもよくわかった。
普通でない環境で、小さな頃から感性が研ぎ澄まされて、心に闇を抱えながらも笑いに変える力を養っていたのだ。
喪服を着て、父の遺体を囲んで大笑いしている親戚や知人のみなさんがとても美しく見えた。笑う、ということは、やはりいいことなのだと出棺間際のこんな場面で思った。笑うという行為は生きてる者の特権であり、生きている証で、どんな状況でも笑えるものなら笑っておいた方がいい。人生が八十年あるのだとすれば、同じ八十年ならたくさん笑う八十年の方がいい。こんなにおもしろい五十年をありがとう。最後のオチがすごすぎて、生きてることはやっぱりおもしろくて、たくさん笑うからこそ人生は美しいと心底思えるよ。ありがとう。
(引用 笑うお葬式)
ご自身のお子さんの子育てについても書かれているのだけど、ここでもまた泣いてしまった。
野沢さん、いいお母さんだ。
普通でない環境で育ったかもしれないけど、生きていく上で大事な根っこの部分はご両親や周りの人からきちんと教えられて育ったんだなと思った。
私は野沢家ほどではないけれど、それなりに波乱万丈な人に囲まれて育ったので、どうしても「結婚、家族、子供」が、自分とは別世界のものに思えてしまう。
子育ての経験はないし、この先ないまま人生が終わると思うけど、もし次生まれ変わることがあるならば、子供を産んで育てる経験もいいものかもと生まれて初めて思った。
おもしろい本だった。