アマゾンプライムで「サイン・シャネル カール・ラガーフェルドのアトリエ」を見たのだけど、これが面白かった。
オートクチュールの過程、普段お目にかかることのない、裏方の職人さんを追ったドキュメント。
2005年の作品なので今から10年以上も前。
携帯がガラケーだったり、時代を感じさせるシーンもあるけど、未だにカールは第一線で活躍しているのだから凄い。
で、今回このドキュメントでカールよりも興味を惹いたのが、ガロン職人のマダム・プージュー。
プージューさんはココシャネルが生きている頃から、シャネルのガロンを作っていた大ベテランのおばあさま。
「ガロン」とは、シャネルスーツについている裾や襟、袖についている縁飾りのことだそう。
この「ガロン」は誰でも作れるものではなく、過去にシャネルからプージューの元に何人か研究員を送り込んでも、技術を習得できた人はいなかったそう。
プージューはこの「ガロン」の織機をお兄さんと一緒に作り、農業や動物のお世話をしながら職人もやってきた。
もともと勤め人になる気はなかったようで、見るからに頑固なおばあちゃんといった感じ。
たとえシャネルの依頼であろうと、農作業を優先させ、媚びることもない。
睡眠時間1日2時間で農作業とガロン作りを同時進行しているプージューは70歳を超えている。
スタッフが心配して体調を気遣うと、「人間の限界は思い込み」とサラっと語る。
いや、マジカッコいいんですけど。
と、前置きがかなり長くなってしまったけど、「そもそも人間の限界ってなんだろう?」という疑問が。
ということで、読みたいと思って買っていた、為末さんの限界の正体 自分の見えない檻から抜け出す法をついに読むことにした。
限界は人間がつくり出した思い込み
もしかすると、限界とは、超えるものでも、挑むものでもないのではないか。自分の思い込みや、社会の常識が心のブレーキになっているのであれば、それを外しさえすれば、今この瞬間にも、自己ベストを更新できると思うのです。
10代の頃を振り返ると、やる前から諦めたり、周りの大人たちに反対されて諦めたことがあって、今思うと、とりあえず全部チャレンジしてみればよかったと思う。
やってダメでも、自分の頭で「じゃあどうすればいいんだろう?」って考えることもできたし、うまくいけば自信にもなっただろうに。
あの頃の私は「ほ~らだからやめろって言ったでしょ」と言われるが嫌だったのだろうな。
「できない」とか「限界」って、一番は自分の思い込みだ。
限界は壁ではなく「檻」のようなもの
僕は限界とは壁ではなく、「檻」のようなものではないかと考えています。なぜなら、限界は、一方向的ではなくて、周囲を囲まれるように外側からつくられているからです。壁やハードルは、目の前にのみ立ちはだかりますが、限界はもっと立体的です。限界をつくり出す要因は、ひとつではありません。身体的能力、時間、性格だけでなく、社会の常識、周囲の期待、他人との比較などさまざまな影響を受けていて、僕たちは、前も、後ろも、右も、左も、上も、塞がれています。そして、いつの間にか「限られた世界」(=限界)の中に取り込まれ、そこから脱出することはできないとあきらめてしまうのです。いったん、限界を感じると、その中でしか思考ができなくなります。
為末さんの「限界」の表現、凄くわかりやすい。
自分が煮詰まってにっちもさっちもいかなくなっている時、「壁」というより「檻」、周囲を囲まれてる感じがする。
では、限界の檻から抜け出すにはどうすればいいのだろう?
積み重ね
積み重ねとは、今までやってきたことの量を増やすことで、限界を突破する考えです。しかし、積み重ねは注意が必要です。素ぶりや千本ノックに見られるような精神論と結びつきやすいからです。積み重ねる必要のない人も、固執しすぎているのが、今の日本のような気がしています。
どちらかというと、古い世代の人に喜ばれそうな努力の仕方なのかな~。
変化する
今までとは違うことを取り入れ、自分に揺さぶりをかけることで突破を図る。自分の認識や常識を上手に書き換え、まだ見ぬ力に出会う。僕は、積み重ねだけでなく、「変化」を有効に取り入れながら、限界に挑み、世界陸上で銅メダルを獲ることができました。
為末さんも書いているけど、変化の激しい時代だからこそ、行動に移せる人、チャレンジし続ける人がこれから生き残っていく人なんだろうな。
考えすぎて動けないより、とりあえずやってみて、違うと思ったら修正しながら進む。
それを繰り返す。
努力をしていなければ限界を感じない
僕の友人の一人が、休日にそば打ちをしています。「週末にそばを打って、みんなで食べるのが楽しい」そんな彼が、そば打ちに限界を感じているとは思えません。そば職人を目指しているわけではないからです。目標を持たず、自分にできる範囲で楽しんでいるかぎり、人は限界の檻に入りにくい。
過程を楽しめるものがある人は幸せな人だ。
結果も人の評価も気にすることなく、ただ自分が楽しいから、面白いからやる。
なんでもいい。
わがままでマイペースでいい
他人の期待を満たすだけの生き方は、他人の人生を生きることと同じです。期待とは、相手が勝手に抱いたイメージにすぎないし、そのイメージに自分を合わせようとすると、自分本来の行動がとれなくなってしまうことがあります。
世界的に活躍し続ける選手の中にマイペースで多少わがままに見える人が多いのは、自分のやりたいことに軸を置いていたほうが期待以上の結果を残せることがわかっているからだと為末さんは語っている。
日本だと、こういう人は非常識と言われてしまうかもしれないけど、私もマイペースでわがままくらいでいいんじゃないかと思う。
死ぬとき後悔するのは嫌だしね。
自信があるフリをする
悲しいときこそ顔を上げて、悲しくないフリをする。緊張しているときこそ笑顔をつくって、緊張していないフリをする。自信がないときこそ体を開いて、自信があるフリをする。「フリをする」と、それだけで脳に間違った解釈を与え、ネガティブな感情を追い払うことができます。失敗したり、落ち込むことがあっても、成功しているときと同じように振る舞うと、脳がダマされている状態になって、実際に前向きになることがあるのです。
人間の脳って、複雑で凄い働きをしているのに、なんだか可愛いなと思ってしまう(笑)
感情ではなく、行動が感情を決めているのであれば、感情をコントロールしようとするのではなく、行動をコントロールする方がいろいろうまくいきそう。
上手に脳を騙しながら(笑)
全力を尽くす
行動の量と、行動の質を変えてみることです。量を拡大したり、揺さぶりや変化を与えれば、まだ先に進めるはずです。全力には、痛みや苦しみをともなうことがあります。量を増やすのも、変化を取り入れるのも、簡単ではありません。だからつい、尻込みしたくなる。けれど、一度でいいから、本気で力を出し切ってみると、今、自分が感じている限界は思い込みである、自分にはまだ余力があって、成長することができる、ということを信じられると思います。
10代の頃に為末さんの本と出会っていたら、またちょっと違う生き方になったんじゃないかなと思うけど、同じ年だから無理か(笑)
為末さんの考え方はほんと参考になる。
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