【書評】橋田壽賀子さんの『安楽死で死なせて下さい』

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父が早くに亡くなったこと、自分が40歳を迎えたことで、自分の最期を考えるようになった。

早いと思う方もいらっしゃるかもしれないが、今年は初めてエンディングノートも書いた。

私は小学生の頃から、「死んだら人間はどこに行くのだろう?」と、真剣に考えるような子供だった。

日本人の平均寿命は延びたけど、健康寿命との差はまだまだ開きがある。

自分はできるかぎり健康寿命のまま命が尽きることを願うけど、どうなるかは誰にもわからない。

ということで、前から気になっていた橋田壽賀子さんの安楽死で死なせて下さい (文春新書)を読んでみた。 

生きることに未練なし

自分の人生を、すごく幸せだったとも不幸だったとも思いません。価値観は人によって違いますから、私がとても不幸だと思う人のことを、他の人は「あんな幸せな人いないわ」と思うかもしれません。逆もあるかもしれません。思い残すことが何もないことには、とても幸せを感じています。だから、いつ死んでもいいなと思っているのです。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

「生きることに未練なし」と語っているせいなのか、はたまたご自身の性格なのか、怖いものなしでご自身の経験と考えを素直にお書きになっている。

それがおもしろくて、「安楽死」という重たいテーマなのに、スラスラ読めた。

お笑い芸人がひな壇に並んでいるバラエティーも、以前はバカにしてたのに、最近は喜んで観ています。私も堕落したんだな。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

私はずっと、彼女に言われていました。「壽賀子さんは可哀想だ。子どもがいないから」

何か言うと負け惜しみみたいだから、黙っていました。でも最後のほうには、「壽賀子さんは、独りを覚悟してるからいいね」といつも言われました。あの死に方を見たら、家族に対して期待があっただけに、裏切られたと感じて、さぞ寂しい晩年だっただろうなと思います。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

船に乗るのは、人間ウォッチングが面白いからです。(中略)いいご夫婦だなと思っていると、次の年には奥さんが一人で乗っていて、旦那さんは亡くなったっておっしゃるんですよ。海に散骨するというので、皆さんで抱擁して一緒に撒いてあげました。しんみりしてね。ところがその次一緒になったときは、明るく「こんにちは~」って、もう派手になっちゃって、ミニスカート穿いて、すごい美顔術して綺麗になってるんです。たまげました。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

さすが「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家です。

日本尊厳死協会

www.songenshi-kyokai.com

この本を読んで、日本尊厳死協会という存在を知った。

自分が80歳を過ぎても生きていたら、加入しておきたい。

死に方について考えることは生き方について考え直すこと

自分の死に方について考えることは、生き方について考え直すことになります。だって、いつどんな災難に遭うかわかりませんよ。ポンと即死したら、こんな幸せなことはありません。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

今年の夏は身近で災害(西日本豪雨)が起こり、いつ何があるかわからないと改めて思った年だった。

長生きできるなんて保証はどこにもないけど、エンディングノートを書いて思ったのは、自分の親と飼い猫の最期を見届けるまでは死ねないということ。

生きている間はちゃんと生きたい

生きている間はちゃんと生きたいんです。死ぬまでは元気で生きていたい。それが私の望む尊厳です。食事は毎日、お肉を200グラム。医者から言われたんです。(中略)「生きている以上は元気で生きなきゃ」と思って、健康に気を遣っているわけです。安楽死することも、それと同時に考えているのです。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

いつ死んでも悔いはない、あの世で会いたい人もいない、死に対する恐怖も全然ない。

安楽死させてくれるなら、いますぐ喜んで逝きますと言いながら、ちょっとまだ勇気が出ないと語る壽賀子さん。

それはそうですよね。

一年後の旅行に申し込むのも、そこまでは生きていられるかもしれないという期待があるからかもしれないと。

いつも死と向き合いながら、元気な間は好きなことをして楽しく暮らそうと願っている……いまはそんな毎日です。

(引用 安楽死で死なせて下さい (文春新書)) 

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