【書評】中野信子さんの『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』

「シャーデンフロイデ」は、誰かが失敗したときに、思わず沸き起こってしまう喜びの感情のことです。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

中野信子さんのシャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)を読んだのだけど、これがおもしろすぎて、どうやってブログにアウトプットしようかここ数日悩んだ。

なぜなら、今年40歳になった私が、子供の頃、成人してから、さらには中年になった今も「なんでだろう?」と不思議に思っていたことの理由がいくつも書かれていたから。

私はブログを書くときは、書きたいと思うことのだいたい3分の1もしくは2分の1くらいに押さえてまとめるように心がけているのだけど、今回は備忘録として全部書くことにした。

オキシトシンとは

この本を理解するには、「オキシトシン」の基本的な働きを理解しておく必要がある。

「オキシトシン」は「愛情ホルモン」「幸せホルモン」と呼ばれ、基本的には人間に良い影響を与える物質と考えられている。

「オキシトシン」が分泌されると、

  • 血圧を下げる
  • 心拍が遅くなる
  • 皮膚・粘膜の血流量が増える
  • 筋肉の血流量は減少する
  • コルチゾール(ストレスホルモン)濃度を下げる
  • 消化・吸収がよくなり、エネルギーの貯蔵を効率的に行う

などの効果があると言われている。

安らぎと癒し

「オキシトシン」は、出産や授乳に関わるホルモンだけど、女性の体内だけで分泌されるわけではなく、男性の脳内にも存在し、さまざまな働きをする。

「オキシトシン」の働きは、女性ホルモンである「エストロゲン」によって増幅される。

一般的に女性的なものとされる包容力であるとか、協調性、人と仲良くなることを好む傾向、養育者としての適性といった性質が、強く現れるようになるのです。しかし、男性にもこうした性質を強く持つ人は増えてきています。(中略)あまり他の女性に目移りすることもなく、貞操をまもる。一緒にいるとほのぼのとして、落ち着く。オキシトシンの分泌量の多さは、肌のきめ、髪のツヤ、見た目のかわいらしさにも反映されます。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書) 

オキシトシンを分泌できないように遺伝子操作をしたマウス実験では、そのマウスはすぐに死ぬことはなく、一定期間生き続けることはできたが、ストレスに極めて弱く、新しい環境に適応することが苦手ということがわかったそう。

さらには基本的なスキルも忘れてしまったかのような振る舞いをしたそうだ。

「オキシトシン」はストレスを軽減させ、傷の治りを速くしたり、痛みを和らげる効果もある。

人との結びつきを担当する物質

人間関係に対して大きな注意を払う性質を持つ私たちヒトは、この物質の働きに意思の隅々まで左右されてしまっていて、容易にその範疇の外に出ることはできないのです。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書) 

人間にとって、「家」「住み慣れた街」「危険度の少ない場所」を好む性質は、生きていく上でのリスクを軽減するためにとても重要な性質。

それゆえ、人間は「場所への愛着」が大きくなる。

オキシトシンを注射されたラットは、好奇心が増して臆病な振る舞いが減少する。

そして自分の巣を離れて新しい環境を探索しに行こうとする行動が増えることもわかっている。

さらには、新しい環境だけでなく、新しく出会う相手に攻撃する頻度は下がり、接触を恐れなくなり、友好的な振る舞いが増えて群れを作ろうとする傾向が高くなるそう。

「オキシトシン」には、愛し合ったり、仲間を大切にしたいという気持ちや安心感、幸福感をもたらす効果もある。

愛が憎しみに変わるとき

ここまで読むと、「オキシトシン」って人間にとってとても大事な物質だと思うのだけど、実は良いことばかりではないらしい。

しかしごく最近、オキシトシンがこれらの効果と同時に、妬み感情も強めてしまう働きを持つことがわかってきたのです。シャーデンフロイデが妬み感情と不可分であることを前提とすれば、オキシトシンは、妬みからシャーデンフロイデに至る一連の感情の流れを強めてしまう物質であると考えることができるでしょう。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

誰かとの間に情緒的な特別な絆ができるとき、脳では「オキシトシン」がその回路を形作るのに一役買っているが、人と人とのつながりが切れそうなとき、「オキシトシン」がそれを阻止しようとする行動を促進するそう。

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「へぇ~」

「私から離れないで」「私たちの共同体を壊さないで」「私たちの絆を断ち切ろうとすることは、許さない」

当然、男女の恋愛にも大きく影響します。友人や会社の仲間、地域共同体など、グループの関係も同様です。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

ちなみに、一番大きな影響が出るのが子どもに対する母親の思いだそう。

愛という、一見素晴らしい感情にも、ネガティブな側面があるのです。愛情の深すぎる人は、オキシトシンの動態がバランスよいとはいえない状態にあります。実際に、心に痛みを感じているわけですから、オキシトシンはあればあるほど良いというわけでもないのです。適度なバランスが保たれているのでなければ、時には本人にとってつらいものとなってしまいます。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

何事もバランスが大事なんだな~。

若い頃はそのバランスを取るのが難しくて、いろいろ傷ついたり、失敗したりもしたけど、年を取る良いことの一つに、それらが経験値となって判断基準が作られること。

ちなみに、「オキシトシン」の働きを阻害する物質を実験動物に注射すると、その個体は子育てに無関心になっていくそう。

中野さんは、自分の意志で決定していると思っていることは、実際には脳に分泌される物質に大きな影響を受けていることがほとんどだとおっしゃっている。

これ、すごくわかる。

例えば「頑張ってこれを成し遂げよう」とか目標を立てたとして、達成できなかったり、決めたことができなかったりすると、「努力が足りない」とか「根性が足りない」と若い頃の私はよく自己嫌悪に陥っていた。

でも、目に見えない感情や心をコントロールしようとすること自体がそもそも間違いで、「努力」とか「根性」といったことではなく、具体的な行動や体を調整することに思考をフォーカスする方がうまくいくと最近になって気がついた。

「今イライラしているけど、これはさっき食べた炭水化物が血糖値スパイク起こしてイライラしてるんだな~」とか、「体の中の物質の変化だから、血糖値が急激に上がらないようにコーヒー飲もうとか、オリーブオイルかけて食べよう」とか、「イライラした感情」ではなく、「体の物質の変化」に気持ちを向けるようにしている。

このように、私たちが自分の意志で決定していると思っていることは、実際には、脳に分泌される物質に大きな影響を受けていることがほとんどです。これらの反応は、目に見えない臓器である脳で起こっているために、私たちは自分が自分の行動を決めていると錯覚してしまいがちになるのですが、本当は行動の大部分が、ただ化学物質によって突き動かされているだけなのかもしれないのです。

 (引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

嫉妬と妬み

嫉妬が、自分が持っている何かを奪いにやってくるかもしれない可能性を持つ人を排除したい、というネガティブ感情であるのに対し、妬みは、自分よりも上位の何かを持っている人に対して、その差異を解消したいというネガティブ感情です。(中略)相手を引きずり下ろして自分と同じか、自分以下の状態にしたい、というネガティブ感情です。当然、引きずり下ろす行為にはリベンジのリスクが伴いますから、あまり利得の多い方法ではありません。

 (引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

亡くなった父親は、嫉妬深い人間だった。

小さい頃からずっと兄弟と競わされ、大人になっても世間体ばかりの親から比較され続け、愛情も足りずに育った結果、嫉妬に飲み込まれ他人と比較する基準でしか生きることができなかった。

そしてついには自分を追い込んで自殺してしまった。

他人と比較する基準だけでなく、自分が幸せだと思う基準。

このバランスが崩れると、人は死んでしまうこともある。

悪性妬みと良性妬み

自分がもっと魅力的な人間になって、その恋人よりもっと素敵な人とお付き合いしよう。こういう気持ちを、「良性妬み」と言います。自分が成長する原動力となるという点で、こういう形で妬み感情を持つことは、むしろ自分にとってプラスに働きます。一方で、そんな素敵な恋人と付き合っているのはムカつくから、悪い噂をどんどん流して仲違いさせてやれ。別れさせてやれ。なんならその恋人を寝取ってしまえ。そんな気持ちが生じたとき、この感情を「悪性妬み」と呼びます。相手を引きずり下ろして自分と同じか、自分以下の状態にしたい、というネガティブ感情です。当然、引きずり下ろす行為にはリベンジのリスクが伴いますから、あまり利得の多い方法ではありません。ですが、条件付きではありません。これが有効な方法になる場合があります。それは、攻撃者の匿名性が保たれる場合です。

 (引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

先日放送された「じくじり先生」で、南海キャンディーズの山ちゃんが、相方しずちゃんに対する嫉妬から、これまでひどいことをしてきたと告白していた。

news.livedoor.com

山ちゃんは、「相手を引きずり下ろそうとするのではなく、その気持ちを自分を高める方に使った方がよい」みたいなことを言っていたのだけど、まさに「悪性妬み」から「良性妬み」に転換できた良い例。

 ヒトの脳は誰かを裁きたくなるようにできている

集団において「不謹慎なヒト」を攻撃するのは、その必要が高いためです。「不謹慎な誰か」を排除しなければ、集団全体が「不謹慎」つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊してしまう恐れが出てくる。その前に、崩壊の引き金になりかねない「不謹慎なヒトをつぶしておく必要があるのです。(中略)結論を言えば、誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行動なのです。向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれません。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

「目立つあいつ」「ムカつく誰か」「一人だけズルをしているかもしれないあの人」に制裁を加えた人間には、ドーパミンの分泌による快感が与えられるそうだけど、「制裁」という行為そのものには、個人単位ではまったく利得がないのに(そればかりか損失が大きくなるかもしれない行動)ドーパミンを分泌させてまで脳がやらせるのは、集団を守る意図もあってのことだそう。

利他的懲罰とは、集団の中に非協力的な行動をとる誰かがいた場合に、その人に対して自己犠牲を払って他の誰かが罰を与える行動のことです。やっかいなことに、この行動は社会の規範やルールを維持するために必須であり、裏切り行動を抑制するのに最も効果的な方法としてヒトが採用し、洗練させてきた仕組みです。つまり、平和で安定した社会は、利他的懲罰によって支えられているのです。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

特に災害が多い日本では、集団の力が必要となる場面が多い。

「絆」などの合言葉を駆使して集団で事態の収拾にあたり、安定的な社会を復興するために逸脱者をいち早く発見して、利他的懲罰を加えなければならない。

それが「不謹慎狩り」につながるのではと中野さんは言っている。

ちなみに、オキシトシンの分泌量が多くなると、外集団バイアス(自分たちの集団と異なる性質を持つ人に対する不当に低い評価)が強まることが実験的にわかっているそう。

絆を強くしよう、みんなのために何かしようーーそのこと自体は日本人の素晴らしい特性で、一人ひとりが「みんなのために」と行動することで復興も進むのでしょう。とはいえ、私はあまり絆、絆と口にする人を見ると「この人は集団のために自分を捨てさせることを強要する人かもしれない」と、警戒心が先に立ってしまいます。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

サンクションが起こりやすいとき

自分だけは正しく、「ズルをしている」誰かを許せない。だから、そんなやつに対しては、俺/私がどんな暴力を振るっても許される。そんな心理状態によって実行に移される行動が、「サンクション」です。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

第三者が人に根拠なく説教をしてしまうのは、「自分は正しい」と思うこと自体が快感であるのに加え、ダメな人を糾弾して、その人の置かれているポジションを高く見せることができるからだそう。

先に糾弾する側に回ることで他者から叩かれる可能性が低くなる、いわば自衛策的な意味合いもあるとか。

2004年にチューリッヒ大学で行われた研究によると、利己的な振る舞いをする人に対しては多くの人が自らコストをかけて罰を与えたがり、罰を与える時には線条体が活動して強い喜びや満足を感じていることが明らかになったそう。

懲罰にはコストがかかる上に、しかも金銭など直接的な利益は何もない。にもかかわらず、社会を維持しなければならないというヒトの生存戦略上の必要性から、利他的懲罰という行動がなくなることは極めて考えにくいのです。むしろ逆に、利他的懲罰を行わない集団は、裏切り戦略を取る個体をコントロールできず、搾取されてあっという間に地上から消え去ってしまうことでしょう。これまでに、どれほどの国や共同体、文明がこうした理由で消え去ってきたかを考えると、しばらくの間、このことを沈思してみたいような気持になります。

 (引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

 「いじめは良くないことだ」という規範意識が高いところほどいじめが起きやすいという調査があったり、決めごとが多い夫婦ほど離婚しやすい傾向になるのは、「こうあるべき」から相手が逸脱すると相手を許してはならないという利他的懲罰の感情から逃れられなくなるからだろうと、中野さんこの本の中で語っている。

利他的懲罰にも良い面・悪い面がある。

面倒くさいと思う一方、これがなければ国家として維持できないよなぁとも思う。

(日本人に利他的懲罰がなかったら、あっという間に中国共産党に搾取されてしまいそう)

同調圧力

自分で意思決定することを楽しいと感じる人は東アジアでは3割もいません。日本人の場合、わずか27パーセント。残りの73パーセントは、自分で意思決定するのが苦痛な人たちと言えます。一方、ヨーロッパでは6割近くが自分で意思決定したいタイプです。どうしてこのような違いが生じるのか、はっきりしたことはまだわかっておらず、議論されているところです。

 (引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

日本人は集団の方が力を発揮しやすい民族なのかな~。

私は自分で意思決定したいタイプ。

とはいえ、組織の中で人をマネージメントする能力もない私は、できるだけ一匹狼で生きていきたい。

普通は、オキシトシンの作用は、仲間意識を高める、愛情を表す、幸せを感じるなど、よい場面で働くものだと考えられています。しかし一方では、妬み感情を高めることもわかってきました。仲間意識や愛情が強く、オキシトシンの分泌量が増えると、いじめにつながりやすくなってしまうと考えられます。学校教育の淵源は国民皆兵制にまでさかのぼります。富国強兵を是とした明治政府のもとでなら尚更、国民は均一に教育され、団結して一丸であることが望ましかったでしょう。個性はむしろ戦闘の現場ではリスク要因となります。これに関しては、戦後もこの基本的な理念が継承されていったようです。高度成長という経済的なフィールドではこれは大いに奏功し、一時、日本は世界第2位の経済大国に成長しました。もはや戦闘に勝つことを目的として持つことを許す社会ではなかったはずですが、均一で良質な人材を大量生産する学校のスタイルそのものは変わらず、そこで鍛え上げられた人が企業「戦士」として能力を発揮できる時代が長く続きました。しかしながら、社会構造が変わってきた現在、すでに均一で良質な人材を輩出するという思想に基づいた学校システムのトレーニングが、必ずしも効果的であるとは言えなくなってきたのではないでしょうか。規格どおりの人材を輩出するよりも、癖のある人材を上手に生かすほうが、国際社会において日本が存在感を示していく上では重要ではないかと考えます。

 (引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

脳はいつでも楽をしたい

私たちは「できるだけたくさんの選択肢を与えられているほうが幸せだ」と思いがちですが、実は意思決定をあまり迫られない「少ない選択肢」のほうを、脳は快適に感じるのです。心理学者のバリー・シュワルツは、「選択肢の多さが幸福度を下げる」と主張しているほどです。私たちが思考停止したいときに望むのは、「考えたくないけれど、間違いたくもない」という虫のいいことです。(中略)本当なのかどうか確認しようのない、占い師に言われたことをそのまま実行してしまったり、高額なセミナーなどにはまってしまったりするのも、「自分が進むべき方向を自分で決めたくない」という思いが根本にあります。神の名のもとにある教義に判断を任せれば、自分は考えなくて済みますし、自分の行動の責任を負わねばならないという不安や恐怖を肩代わりしてもらえます。このように、人間の脳は、つねに「誰かに決めてほしい」と願っており、「自分の知らないところですべて出来上がってくれていたらいいのに」とすら望んでいるのです。(中略)占い師のものに足繁く通う人たちも同様なのかもしれません。人気のある占い師は、「今日はなにを知りたいのですか」などと受動的な態度はとらず、ずばっと決めつけます。「あなたは最近、とても迷っていることがあるわね」「周囲の評価と本当のあなたは違いますね」「本当は個性的な人なのよね」実は、誰に対して指摘しても「そのとおり」と当てはまることを言っているだけなのですが、それが心に刺さるような感じがするのは、やはり「私の気持ちを誰かに理解してほしい、そして代わりに決めてほしい」という根源的な欲求があるからなのではないでしょうか。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

以前勤めた会社に(社会的立場の高い人)、お金を出して占ってもらってる人いたなぁ。

不安だったんだろうな。

そんな私も会社員をしていた頃は将来が不安で、よく占いのサイトを見てたんですけどね。(ケチなのでお金は払う占いは利用しなかったけどw)

今は「日日是好日」の精神。

常に完璧な毎日などないのだから、「損をしたから悪い日」とか「得をしたから良い日」ではない。

目の前のことに集中して、積極的に生きる。

このことを意識し出したら、占いに頼りたい気持ちがなくなってしまった。


有吉弘行&オードリー若林「占い師のやばすぎる実態」と「ひどすぎる占いバッシング」

(この動画おもしろいw)

生き延びてきたDNA

つまり、本当はもめる必要などない人たち、場合によっては助け合うことができる人たちが、グループに分かれただけで、ちょっとしたことをきっかけにいがみ合い、相手を潰そうとするのです。それは、元来、人は争うことが好きで、争うことによって生き延びてきたからです。いま、この世にいる私たちはみな、生き残ってきた人間の子孫です。生き残るために戦って勝ち抜いてきた祖先のDNAを持っているわけで、基本的に争いを好むのは当然のことです。とくに、仲間がいて、「その集団を守らねば」という大義名分があれば、戦うことに対する抵抗感はひどく薄れます。(中略)人間はもともと戦うことが好きなのです。そしてそこに「正しい」が加われば、どのような残虐なことも実行できてしまうのが恐ろしいところです。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

戦争なんて馬鹿げてると思う一方、人間に備わった遺伝子である以上、抗うこともできない。

人間とは、なんて不条理な生き物なんだろう。

宗教戦争はなぜ起きるか

本書で述べてきたように、規範意識が高いところや、決めごとが多いところほど熾烈な争いが起きやすいという現実があります。宗教における教義は、信じている人にとっては絶対的に正しいものです。その絶対的に正しいものにしたがない人たち、つまり他宗教の人たちは、むしろ滅ぼしてあげることが「愛に満ちた正義」になり得る場合があるのです。また、その宗教の枠組みの中では多くのことが許されるということになります。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

宗教的な家庭で育った子どもと非宗教的な家庭で育った子どもの様子を観察して分析した研究結果によると、宗教的な家庭で育った子どもは非宗教的な家庭で育った子どもに比べて、利他性が低く他人に批判的で不寛容であることがわかったそう。

そして戦争は同じ宗教を持つ者同士でも起こり、むしろその方が争いが激化する傾向が高いそう。

あらゆる紛争は、愛から始まった小さな干渉から起こると言ってもよいくらいかもしれません。たとえば、人工中絶を絶対に許さないとか、同性愛は認められないと考える人は、「神がそれを命じているから」守っているという場合が多々あります。このとき、自分がそれを守っているだけなら問題は起きませんが、そうでない人がいることに気づいて、利他的な懲罰を含む干渉を始めるとき、過激な攻撃が行われることがあるのです。やっかいなのは、干渉している側が、愛と正義に立脚しているという認識を持っていることです。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

宗教にまつわる争いがなくならないのは何でだろうとずっと思っていたのだけど、中野さんの本を読んで腑に落ちた。

宗教は人を救うためにうまれたものだろうに、それが原因で殺し合うなんて、何て本末転倒なことをしているんだと思ったけど、人間である限り永遠に争いがなくなることはないのね。

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愛が抱える矛盾

祖先から引き継いだ不寛容な私たちの脳は、オキシトシンによってその不寛容性が保持されています。つまり、愛が不寛容を裏打ちし、不寛容さが人間社会を強固なものにしているのです。

(引用 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)

長年疑問に思っていた数々のことが1冊にまとめられていて、私にとって非常に価値がある本だった。

人間は集団でしか生きられない動物なのだから、これからも矛盾を抱えて生きるしかない。

 

 

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