【書評】無(最高の状態)【おススメ】

 

鈴木祐さんの無(最高の状態)がとてもおもしろかったので備忘録としてまとめておく。

原始の世界ではネガティブが有利

人間の精神は『苦』がデフォルト。(人類の生存に有利だったから)

私たちの祖先は厳しい脅威にさらされて生きていたため、そのような環境で生き抜くには、臆病でいることが最適解だった。

(ホモサピエンスが暮らしていた環境は捕食、飢餓、伝染病、暴力が日常茶飯事)

完璧主義は危険

完璧主義な人ほどミスや失敗に弱く、他人の目を恐れて自死を選びやすい。

哺乳類の中で人間だけ苦しみをこじらせる

人間なら苦しみや悲しみ(一の矢)が起きて数年引きずるようなことがあっても、他の哺乳類は少しの間ネガティブな感情を露わすだけですぐ元の状態に戻る。

恥、嫉妬、愛情の機能のインストール

私たちの祖先が集団生活を始めると、一人暮らしより複雑さが増すため「恥」「嫉妬」「愛情」=『社会的感情』をインストール。

  • 怒り;自分にとって重要な境界が破れたことを知らせる
  • 嫉妬;重要な資源を他人が持っていることを知らせる
  • 恐怖;すぐそばに危険が存在する可能性を知らせる
  • 不安;良くないものが近づいていることを知らせる
  • 悲しみ;大事なものが失われたことを知らせる
  • 恥;自己イメージが壊れたことを知らせる

⇒これらの感情がなければ身に迫る危険を察知できない

反芻思考(最初の悩みが別の悩みを呼び、同じ悩みが脳内で反復される状態)

生物が生きていく上で、ある程度の苦しみ(一の矢)は避けられない。

ただ、その苦しみからまた別の悩みや苦しみ(二の矢、人によっては三の矢、四の矢まで増える)を呼び込むのが人間。

それは上記の感情がインストールされたため。

昔に比べ安全な現代では『反芻思考』は人間に大きなダメージを与える。(反芻思考が多い人ほど心臓病や脳卒中にかかるリスクが高く、早期の死亡率が高まる傾向にある)

怒りや欲望の一の矢が去る時間

怒り

脳内で大脳辺縁系がアドレナリンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質を吐き出し、心と身体を戦闘状態に変える。

ここで少し待つと、人間の理性をつかさどる前頭葉が大脳辺縁系を抑えにかかり、少しずつ神経伝達物質の影響を無効化する。(前頭葉の起動時間は平均4~6秒、そこから10~15分経てば神経伝達物質の影響力は消えて怒りは鎮まる)

欲望

何か欲しいものを前にした人間の脳内にはドーパミンというホルモンが分泌され、欲望をかきたてる方向に働く。

ドーパミンは人間のモチベーションを駆動する物質で、いったんその影響下に置かれると、逃げられる人間はほぼいない。

ただし、欲望を抱いた直後に別の事柄に脳の注意を一時的にそらすと、ドーパミンの支配力は薄れて前頭葉の自己コントロール能力が戻り始める。

ドーパミンの持続時間は平均10分前後

自己にこだわるほどメンタルを壊しやすい

「私はダメだ」「失敗ばかりだ」などの否定的思考が良くないのは当然として、「自分はどんな人間なのか?」「本当の自分らしく生きることができているだろうか?」といったような理想の自己を思う時間が長い人も、不安や抑鬱の症状を起こしやすい。

人類に自己が備わったのは25万年前から5万年前

人類が集団生活を始めると共に、複数の課題も生まれた。

食料へのアクセスと分配をめぐる争い、生殖相手探しにともなうトラブル、資源独占を狙う裏切り者の出現などなど。

これらの変化を生き抜くために、

  • 他者とうまくコミュニケーションし、自分が裏切られないかどうか予測する
  • 他者からどのように見られているかを予想し、期待された通りに振る舞う

これらの能力が求められた。

そのため進化の圧力は人類の大脳皮質を肥大化させ、集団の中で自分のポジションを抽象的に考える能力を発達させた。

これが今の人類が持つ自己の起源

自己は生存用のツールボックス

脳の働きから見れば、私たちが体験する自己に特別な神経基盤はありません。

場面ごとに異なる機能が出現するのを、私たちはあたかも統一された唯一の「わたし」がいるかのように思い込んでいるだけです。

自己というと感情・思考・肉体を統べる一段上の存在のようにも思えますが、実際には手足や目鼻口などの器官と位置づけは変わりません。

(引用 無(最高の状態)

自己は消せるか?

自己は日常的に生成と消滅をくり返し、「わたし」がなくても問題ない状況が多く存在する
  • 極度のフロー状態に入ったとき(ゲームにのめり込む、物語の世界に没頭する、友だちと会話が盛り上がるなどなど)
  • リラックス状態(お風呂に入ったとき、ビーチでのんびりしたとき、ゆったりとした音楽を聴いたときなどなど)

→意識が完全に現在へ向いていて、過去や未来に思いをはせる必要がない状況では自己を起動する必要はない。

自己は感情や思考といった他の機能と変わりない(特別なものではない)
  • 習慣のような行動(歯磨き、身支度などなど)

「わたし」の力を借りなくても適切な知覚と動作が無意識のうちに生じている。

人の脳は物語の製造機

現実を体験するステップ

  1. 周囲の状況がどう展開するかについて事前に脳が物語を作る
  2. 感覚器官が受け取った映像や音声の情報を脳の物語と比べる
  3. 脳の物語が間違っていたところのみ修正して「現実」を作る

⇒日常の活動に使うリソースを節約するために、人の脳は物語の製造機になった。

古代ギリシアの哲学者プラトンが、「人の目に映る現実の世界は真実の影絵に過ぎない」と喝破したように、私たちは決して現実をありのままに体験しているわけではありません。VRゴーグルよろしく、脳が作り出したシミュレーション世界を生き続けているのです。

(引用 無(最高の状態)

人間は「物語」の自動発生をピンポイントで止めることはできない。

人間は「物語」によって行動させられる自分を認識できない。

肉体が内側から発する情報も物語作りのリソース

生命が持つ自動修復システム『ホメオスタシス(外部の変化に対応して身体を常に同じ状態に保つ働き)』を正常に働かせるために、人体には様々な高性能のセンサーが備わっており、何かあれば休みなく脳へレポートを送る。

そして身体の感覚に異変が起きると脳は即座に物語を作り始める。

本人が意識できないような身体の異変も感情に影響を与える。

食事の乱れによる栄養不足やカロリーの摂りすぎ、肥満が引き起こす高血圧とコレステロールの上昇など、自分自身では明確に知覚できなくとも、人間の脳はすべてのデータを生存の危機として処理しています。

その結果、「いつも身体が脅威にさらされているのは、「私」の何かがおかしいに違いない」との物語を生み出し続け、これを私たちは謎の不快や得体のしれない不安として認識するのです。

心身一如の言葉もあるように、苦しみから逃れるには、心理技法にこだわる前に「身体」という土台を固めておく必要があります。

脳の情報処理という観点からすれば、精神と肉体に明確な違いはないからです。

(引用 無(最高の状態)

自己は絶対的な存在ではない

私たちの自己は、他者との物語が交わるなかで輪郭が描かれ、それぞれのストーリーによって柔軟に形を変える。

自己は絶対的な存在ではなく、物語のすき間に一時的に現れる虚構。

「わたし」を構成するパーツ

  • 自己;脳が作り出す物語から生まれ、「私は私である」との感覚を生む機能
  • 自意識;物語から生まれた自己に注意を強く向けている状態
  • アイデンティティ;自己をもとに「私はこういう人間だ」と規定した状態
  • 自我(エゴ);物語が形成する自己の輪郭をもとに、自分と他人を明確に分けt状態

⇒自己という虚構を絶対視し過ぎると、トラブルにつながる。

停止の力で「物語」の強度を限界まで下げる

何らかの作業に意識を集中させることで「物語」が停止する現象が複数の実験で確認されている。

詠唱

代表的な手法が「詠唱」。

礼拝の祈祷文、聖歌、祝詞、念仏などなど。。。

「詠唱」はDMN(デフォルトモード・ネットワーク)の活動量が下がり、自己にまつわる物語の量も有意に減る傾向が認められている。

DMNは何もしていないときに活動を始める神経回路で大事な回路であるものの、苦しみを生む原因にもなることがわかってきている。(→自分に関する情報を処理する回路でもあるため)

観察の力で「物語」を現実から切り離す

観察とは脳内に浮かぶ物語をじっくりと見つめる作業のこと。(座禅、瞑想等)

苦しみをこじらせがちな人の脳は島皮質(身体の感覚データを監視する領域)および扁桃体(不安や恐怖などの感情を引き起こす領域)という2つの領域が、DMNとつながるとネガティブな反応を示しやすくなる。

観察のトレーニングでは身体の不調や内面の不安をいったん放置しそのまま見続ける態度が求められるため、外界の変化をいたずらに自分事にせず、ただ脳内に起きた現象のひとつとして観察を続ける。

すると島皮質/扁桃体とDMNを結ぶ神経回路が減り、心身の変化をいたずらに自己の問題としては捉えなくなる。

脳が外界の脅威に過剰な反応を示さなくなると、脳が作り出した物語を「これは現実ではない」と認識できるようになる。

副作用もあるので注意

瞑想によって自己の感覚が薄れて未来への目標に向かう気持ちが薄れたり、集中力が高まった影響で、自分の感情へ過度に敏感になってパニック発作やうつ病になったり、自己が消えるどころか逆に自意識が増強された事例も出ているので注意。

停止と観察の効果は個人差が大きい。

無我に至った者が得る『智慧』の境地

学問の世界で言う『智慧』とは、IQや知識の量などは意味しない。

  1. 人生経験から得た知識を正しく利用できる
  2. 困難に直面しても不安が少ないまま行動できる
  3. 自分や他人の精神状態を注意深く考察できる

上記のスキルの集合体が『智慧』。

無我によってどのような人間になるのか?

  1. 幸福度の上昇
  2. 意思決定力の向上
  3. 創造性の上昇
  4. ヒューマニズムの向上

無我によって起きる変化とは、高僧や仙人だけが得られる特別な境地ではなく、すべての人間が生まれながらに持つ「善の力」 が高まったものだと言えます。自己が消えたことで歪んだ思考と感情のくびきから外れ、理性・共感・判断などの能力が存分に発揮できるようになった状態です。

(引用 無(最高の状態)

全ての章がおもしろくて、まとめも長くなってしまったけど、やっぱり鈴木祐さんの説明はわかりやすい。

この本はとてもおススメです。