【書評】タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

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鈴木祐さんのブログを読んでいたら、タモリと初期仏教というエントリーがあり、初期仏教の教えを読んでいるような気分になったとあったので読んでみたところ、本当にそうだった(笑)

ブッダさんの説く「解脱」「涅槃」は、現代日本に生きる私にはとても到達できる世界ではないが、タモリさんの俯瞰した考え方、観察力はとても参考になる。

今日はそんな名言を備忘録としてまとめておく。

自分とは何か

たとえば「会社の課長」「芸能人」「妻がいて子供がふたりいる」「友達が何人いる」といった、現時点での自分自身の状況を"横軸"とし、「親は医者」「家系」「叔父が不動産業界にいる」「子供が東大生」など、自分の周囲の人間が持つ"事実"を縦軸とする、と。この横軸と縦軸が交差したものが「自分」であるとタモリは言う。

「そうすると、自分というのは一体何か、絶対的な自分とは何か、っていうと、わかんなくなってくるわけですね。それだけこういう、あやふやなものの中で自分が成り立っている」

そんな「自分」を成り立たせている横軸も縦軸も「余分なもの」であり、それを切り離した状態を、タモリは便宜上「実存のゼロ地点」と名付けた。

これでいいのだ

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赤塚不二夫さんの告別式での弔辞

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と

マネも自分がまったく変わるほどにいくと面白い

かつて「北海道でどんちゃん騒ぎをする会」というイベントが開催され、そこに女性記者が潜入し、帰りのバスでタモリにインタビューを始めた。タモリはそれに寺山修司の口調で答える。するとだんだんドライブがかかり、あたかもタモリに寺山が乗り移ったかのように、何も考えなくても、いいフレーズが次々に溢れ出てくる。「自分でもワァー、オレたいしたものじゃないかと思うくらい(笑)」。そして「すごく楽なのね。自我滅却」と笑う。「マネも自分がまったく変わるほどにいくとおもしろい」

ハングリー精神なんて邪魔

過去を反省しないタモリは、未来に対する展望も持たない。

「人生成功せにゃいかん、ナンバー1にならなきゃいかん、それには何歳までにこういうことをやっておかないといかん(笑)。ダメだよ、それじゃあ。苦しくなるから」

「目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ」

人間の不幸は全体像を求めるところにある

全体像を求め、全宇宙を包括して理解したいという欲望を持ったとしても、実際にはそんなことは不可能だ。我々が認識できる範囲には限界があり、時間的にも、空間的にも、それを超えて世界を把握し、また普遍的な揺るぎない自己を確立させようとするのは不幸の始まりである。

複雑な家系、家族関係の環境の中で育ち、幼少の頃から周囲の人間を客観的に観察し続けて来たタモリさんが行き着いた考えは、やはり初期仏教を思わせる。

 

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