【書評】脳と瞑想

結構前に読み終わってたまに何度か読み返していた本。

瞑想指導者のプラユキさんと脳神経外科医の篠浦先生の対談本だが、この本がおもしろいので備忘録として気になるところをまとめておく。

瞑想は2年前くらいにアップルウォッチを買って、何となく始めた呼吸瞑想から興味を持ち始めた。

それからいくつか瞑想に関する本を読んでみたり、メディトピアの瞑想アプリを試したり、ネットフリックスのヘッドスペースの瞑想を見てみたりといろいろやってみたが、今はお風呂に入ったときに2~3分の呼吸瞑想を毎日やるというところで落ち着いている。

自分にはこれくらいのやっているかやってないかわからないくらいの感じが気楽で良い。

オウム真理教の瞑想には観察がなかった

オウム真理教の信者たちがハマったのも、そういう集中系の瞑想でしょうか。

そうでしょうね。オウムの元出家者に会って話を聞くと、当時の修行を振り返って、オウム真理教の瞑想には「観察」がまったくなかったと、口をそろえて言います。

(中略)

もっとも、オウム真理教に限らず、瞑想中に神秘体験のようなものをすることが、悟りを得たり、精神の高みに昇ることだと勘違いしている人はまだまだ多いようです。

神秘的な体験で快感を得ることは、動物脳特有の、制御が利かずにのめり込んで依存症のような状況になりやすいことでしょうね。

これは私も集中系の瞑想を試していた時に感じたこと。

自分はエゴが強くなる感じがして、呼吸瞑想に切り替えた。

脳に苦しみの回路をつくらない

集中系の瞑想をして集中力がそれなりにつき、心の静まりを感じられるようになってくると、今度はその静けさへの執着が生じて、これまで何ともなかった音に嫌悪を感じるようになることがよくあります。

(中略)

人間って、意外と回路を作ることが快感なんでしょうね。どんな回路であれ、なんでもいいから何かのひとつの回路を作ることが快感。集中系の瞑想って回路を作りやすいと思うんです。だから、あまり良くない気がします。

これも読みながら「自分も経験あった」と思った部分。

瞑想中に外の音が気になってイライラしてしまったが、今はうるさくても気にならない。

そもそもきちんとした瞑想やろう!という高尚な気持ちもない。

ただ、瞑想を始めてよかったこともあるので、これからも続けていこうと思う。